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イントロダクション


再びの「自由、不安、幸福感」をともに

 今年もまた、山形の町に、映画と笑顔があふれる秋がやってきた。前回のオンライン開催を経て4年ぶりの現地開催となる今回、どんな出会いが待っているだろうか。昨年9月に作品募集を開始し今年春に締め切りを迎えるまで、2100本以上の作品が世界中から山形に寄せられた。多くの作品に疫病や戦争の影が差し、スマホやドローンを駆使した現代的な設計の映像にももはや驚きはない。一方で、何気なく切り取られたフレームの奥行きの中に、逡巡し思考する作者の姿を見出し、対話する。そのような瞬間を与えてくれる映像に思いがけず遭遇することこそが、映画を観ることの醍醐味であり、幸福なのだろう。

 映画という芸術に魅了され、文字どおり人生をかけてそれに向き合い、経済的な豊かさや名声を求めず、実直に映画とともに生きた、あるいは今そのように生きている多くの作家やキャメラマン、プロデューサー、批評家、そして上映者がいることを、私たちは知っている。この映画祭はこれまで長く、そうした人々の存在に光を当て、その作品群や業績に出会い、知る場を生み出してきた。例えば、今回大規模な回顧上映を行う野田真吉監督もその一例だろう。野田がフィルムに残した数多くの映像が、それぞれの時代の息吹や社会批評のあり方を2023年の今に伝えてくれる一方で、そこに見出される撮影対象との格闘の痕跡、映画の方法論に対する問い直しにかけた彼の情熱は、今も普遍的な新しさに満ちている。

 34年前にこの町で始まった映画祭は、小川紳介に感化された地元山形県下の青年たちの情熱に支えられ、祭りになった。そして、山形市役所運営時代の事務局の要であった故宮澤啓、そして昨年急逝した元事務局長の煖エ卓也はそのまま長く、一途に地域上映に邁進する上映者でありつづけた。彼らが、映画祭スタート前夜に蔵王の夜空の下で感じたという「予想もつかない何かと出会える自由と不安と幸福感」(YIDFF 2017公式カタログより)とは、つまり古今東西、時と場所を超えて世界中から集まった映画と情熱にあふれたその作り手との出会い、そしてその情熱の渦に惹きつけられ巻き込まれていく自身を想像しての一種怖れの感覚だっただろう。何をするにもできるだけ時間と手間を節約することが好まれる今の時代に、そんな原初的ともいえる映画体験を変わらず愚直に提供しつづける上映者としてのアイデンティティを引き継いでいくことが、私たちのこれからの目標となるだろう。そして今回参加いただく皆さまには、ぜひここ山形で、他者の情熱に触れ、気持ちをかき乱され、存分に語り、明日の出会いを不安とともに楽しみに待つその自由を、謳歌していただきたいと願っている。

 最後に、今回の第18回開催にあたり、多くの団体・企業・大学、そして個人の方々から運営面・財政面でのご協力をいただいた。文化事業に対する国内各種助成の縮減の影響を受け、数百万円単位での予算減少に直面する中、特に燃料費の高騰による招聘費不足に対し、ユニフランスをはじめとする複数の文化・教育団体からご支援をいただいた。コンペティション2部門の監督皆さまをこれまで通り山形に招待することは、これらのご支援なくしては不可能であった。ここに改めて深く感謝申し上げたい。

認定NPO法人 山形国際ドキュメンタリー映画祭
山形事務局長
 畑あゆみ

 


いま、ここで

 コロナ禍を経て、隔年開催の山形映画祭は、4年ぶりに会場で観客の皆さんを迎える。コロナの前と後で日常が一変した経験は、いまも地続きのかたちで私たちの日常に影を落としている。戦争、自然災害、人権侵害といった世界中で起こる凄惨な出来事と、山形映画祭にとって身近な方々の訃報が重なることもあった。それらは自分たちの足もとを大なり小なり揺さぶり、妙に不安定な感覚が拭い切れないまま、私たちは日々の営みを続けている。人と人をつなぎ、出会う場となる映画祭という祭り、ここに集えることを、まずは喜びたい。

 オープニング上映する空音央監督の『Ryuichi Sakamoto | Opus』は、音楽家 坂本龍一が創り上げた、最初で最後の長編コンサート映画だ。東北という地に切実に向き合っていた坂本へのオマージュが、私たちが抱えてきたたくさんの喪失への寄り添いとなり、山形映画祭へさまざまなかたちで関わってくれた亡き映画人、批評家、映画祭スタッフの仲間、友人たちを追悼する時間を作りだすことにもなるだろう。

 今年の上映プログラムではほかにも、音楽と映像によって織りなされた、ときには時空をも行き交ういくつもの映画が私たちを冒険へと誘ってくれるはずだ。

 カーボ・ヴェルデ、浅草、マリの農村、かつての中国の田舎町やパリの地下鉄から発される言葉と歌そして声が、映画となって立ち上がってくる。アルゼンチンのバスターミナル、ミャンマーの部屋から届けられる、はっきりとは見えない身体、顔、表情に、聴こえてくる声や音が像を与え昇華する、卓抜した作品群。韓国のある路上で、音のない世界と光と闇の紡ぐ時間……。

 そして、映画作家 野田真吉の初めての大規模回顧上映がある。今年は、奇しくも作家の生誕100年、没後30年にあたる。東北に関わる作品を少なからず残していながらも(特集では、『東北のまつり』などを上映)、山形映画祭に足を踏み入れることはなかった野田だが、初期からその作品を上映してきたこの山形映画祭で、彼の生み出した作品群の「祝祭」が、私たちを活気づける渦を巻き起こすことだろう。ドキュメンタリー映画の切り拓いてきた軌跡は、山形映画祭の道のりとも時に交差する。人は生きるために、誰かと悲しみ、喜び、不安になり、安心する。映画祭がそこに集う人々の心を包み込む皮膜となり、上映作品は心の止まり木となる。

 インターナショナル・コンペティションの審査員として、初めて来形する気鋭の映画批評家エリカ・バルサム氏、張律(チャン・リュル)監督、陳界仁(チェン・ジエレン)監督に加え、オンライン開催だったYIDFF 2021に続きヤンヨンヒ監督を今回は対面でお迎えできること、すてきな新作とともにオスカー・アレグリア監督をお呼びできることを嬉しく思う。アジア千波万波の審査員には、YIDFF 2001に参加した陳凱欣(タン・カイシン)監督、YIDFF 2021大賞作品『理大囲城』の配給にも関わるリム・カーワイ監督と、なつかしい顔が揃う。

 山形映画祭という祭りが現出する上映空間には、日々の何でもないことが、何かであるということを明らかにし、それを全身で抱きしめることのできる彩り豊かな時間が流れている。これを観客、制作者らがともに体験し、新しい出会いや再会を歓び、別れを惜しみ、またの邂逅を願うこと。「未来」を拓くかけがえのない時間が、今年もさまざまなかたちで繰り広げられることを心から願い、皆さんをお迎えする。

 今回の映画祭も多様なたくさんの方々からのご支援、ご協力をいただき開催できることに、心から深い感謝の意を記します。

東京事務局長 濱治佳