『自画像:47KM 2020』
章梦奇(ジャン・モンチー) 監督インタビュー
ふたつの時間
結城秀勇(以下、結城):監督が長期にわたって撮影を続けている47KM村ですが、観客はこの作品で初めてこの村の夏や秋を目にすることになります。そこにはコロナ禍でのロックダウンの影響もあるかと思います。そうしたことも含めて、この映画の成り立ちについて聞かせていただけますでしょうか。
章梦奇(ジャン・モンチー/以下、章):私も今回初めて村の四季を見ることができたんです。これまでは、基本的に冬の季節だけこの村に通って撮影をしていたので、今回はまったく異なる撮影になりました。
前作の『自画像:47KMのおとぎ話』にも「青い家」が出てきますが、2019年の段階では、この「青い家」に私が長期間にわたって住むことは想定していませんでした。ところが、2020年初頭のコロナ禍で、武漢に続いて私がその時いた随州も都市封鎖されることになりました。随州は、武漢と同じ湖北省で、武漢から100キロ足らずの距離だからです。当初は、1月23日に都市封鎖されて、3月16日に解除されるという予定でしたが、その後どうなるのかは誰にもわかりませんでした。その時点でもうこの「青い家」には水も電気も通っていたので、「よし、ここで暮らそう!」と思って47KM村に帰ってきました。
「青い家」を建てたときは、私は非常に希望に満ちていました。それでももしかすると、たとえば村の中の事情とか、政府からの圧力だとか、そういうなんらかの外的な要因によって、「青い家」で活動できなくなることもあるかもしれないとは考えたことがありましたが、まさか新型コロナウイルスというまったく新しい事態によって、さまざまなものが妨げられるなんて想像もできませんでした。
ですので、当初私は非常に落ち込んだ気持ちで、この「青い家」に帰ってきました。でもこの村も封鎖されているので、誰も他の場所に行けません。だから結果的に、毎日のように子どもたちが「青い家」に来て遊ぶのです。彼らが遊んでいる様子を見ると、それまで私の落ち込んでいた気持ちが、だんだんと消えていくようでした。
その後の1年間は、子どもであれ、大人であれ、そこで行われている労働であれ、村で起こるさまざまなことが私を強く励ましてくれているような時間を過ごしました。それが今回、完全にこの村の1年間を撮影するに至った背景です。
結城:この映画は、二十四節気による章立てのような構成になっています。
章:この映画の中では、実はふたつの時間を記載しています。ひとつは二十四節気を記し、同時に2020年何月何日、と西暦の日付も記載しています。それぞれ、西暦は私たちが全世界的に経験しているパンデミックの経験と結びついた時間を、節気は村に根ざした自然と結びついた生活の時間を、表しています。
いくら村の中にいても、その外側でなにが起こっているのかという情報は入ってきます。つまり両方の時間が同じ空間に存在しているのです。ですが、この映画の中では、次第に日常の時間が彼らの生活の中で重要さを取り戻していく過程が描かれていると思います。たとえば、最初の頃、コロナのパンデミックが始まった直後は、村人たちが話す時もお互いにソーシャルディスタンスを取りながら話していた。そのうちだんだんと一緒に仕事しながらおしゃべりをするようになっていく。つまり日常の時間の中に彼らが帰っていく、という変化を記録してもいます。
結城:個人的な話なのですが、かつて祖父が農家をしていた頃は、このくらいの時期に代掻きをしてそれから田植え、といった時間の感覚がなんとなく体に染みついていました。一人暮らしをするようになり、祖父も亡くなり、そうした感覚もいまではかなり希薄になってしまっていますが、この映画を見ている間、かつて持っていたその時間の感覚を思い出しました。
章:私もまったく、いまおっしゃったのと同じような感覚があります。私も村にいる時とそれ以外の所にいる時では、生活と自然の結び付きが全然異なる感じがするんです。村の暮らしの中では、早朝と夕方が一番忙しくなるので、緊張します。なぜかというと、その時間帯には水分が非常に多く発生するからです。たとえば洗濯物を干していたりしたらすぐに湿ってしまうので、取り込んでしまわなければ大変なことになってしまう。特に春はそうなんです。外に出ると、もう一面湿気だらけになっている。都市に住みアスファルトに覆われた世界にいると、空気が季節や時間によってそんなふうに異なっているのは、感じることができないですよね。
私は小さい頃から大人になるまで、基本的にずっと都市で暮らしてきました。特に大学で北京に行ってからは、10数年北京で暮らしてきました。村に住めば当然、都市に比べると不便な生活になるだろうとか、人が少ないからそれに伴ういろんな違いがあるだろうと想像はしていたのですが、これほどまでに自然の力の大きさが村の生活を支配していることに、そこで暮らしてみるまで気づきませんでした。たとえば、村にはたくさんの動物がいます。本当に無数の種類の動物がいて、しかもそれが季節ごとにその姿を現してきたり、あるいは消えていったりします。何月になるとこの虫が出てくるとか、何月になるとミツバチが飛ぶとか、そういった変化が日々の生活の中で次々と起こっていきます。節気の中に刻まれている時間感覚が、村の生活の中で具体化されているということをすごく感じました。
自然の力
結城:おっしゃる通りこの作品の中では、直線的で不可逆な歴史観と、季節とともに循環する時間の感覚が、パンデミックという脅威の中で奇跡的に結びついている気がします。
章:私も自分が撮った素材を見返す中で、本当に多くのことに気づきました。彼らの労働や日常の作業の中に多くの英知が宿っていることを発見したのは、私にとって非常に新鮮な経験でした。
映画の中で、彼らは外からやって来る情報について心配したり、語りあったりしています。武漢で何が起こったとか、何人の人が亡くなったとか、ウイルスに対する恐れだとか。そうした音声としての情報が語られる一方で、彼らは言葉を使わずとも、私たちにさまざまな事柄を伝えてくれてもいます。いろいろな作業の中で彼らが私たちに見せてくれる彼ら自身の知識、生活に対する知識です。ただの情報ではない彼らの知識、どのように生活を営んでいくか、どのように労働していくか、そうした知識を私は言葉よりも彼らの姿から学ぶことになりました。
結城:まさにこの作品は労働についての映画でもあります。細々としたことを聞いていってもいいでしょうか? 映画の中盤で、大勢の村人で木屑をつくって梱包していく。はじめはなにをしているのかわからないのですが、やがてそれはシイタケ栽培だとわかっていく。ああしたやり方はいまの中国ではわりとありふれた栽培方法なんでしょうか?
章:そうです。かなり昔は、原木に菌を吹きかけてという方法で栽培をしていたと聞いています。私の母もその方法で栽培したことがあると言っていました。でも、その方法だと効率が悪いため、もっと収穫量を上げるためにああした袋におがくずを入れてという方法が採用されたと聞いています。そうすることによって、それまで年に1度だった収穫が、2回できるようになったということでした。
彼らが育てているシイタケは、とても高級品で、しかも輸出用です。彼らはそれが誇りなのです。私の故郷はシイタケ栽培で非常に有名なところなんです。まあもちろん、輸出時にはかなり高額なのかもしれないですけど、彼らが手にするお金はさほどでもないのですが。
結城:すごく長いシーンで、白いビニールを青いビニールに架張り替える箇所があるかと思うんですが、あれはなんの作業なんでしょうか?
章:実は私もなにをしてるかよくわからないのですが、あのビニールはもともと青いんです。それが太陽や風雨にさらされて、色が抜けて白くなる。つまり古いものを新しいものに張り替えているんだと思います。
映画の中では、シイタケ栽培についてまだ十分に描けてはいないと思います。彼らは毎日、シイタケの手入れをしているのです。日が強く照れば、カバーを開けて日に当てる。あるいは、暑すぎれば、遮光用の黒いカバーをかけて守る。そして寒すぎれば、青いカバーと黒いカバーを両方かけて保温する、などということを日々行っているんです。
結城:もうひとつ、夏の夜にムカデを取りに行きますね? あのムカデは売り物になったりするのですか?
章:ムカデは漢方薬の材料として売ることができるんです。ムカデ以外にもセミの殻などを売っています。子どもが見た夢の話をするところがありますよね? おばあちゃんが蛇やムカデを捕まえていたと。そうした野生の昆虫や爬虫類たちは、夏暑くなると一斉に出てきて、それを捕まえて売ることが彼らの生活の一部になっています。それも高価なものになります。
結城:そうしたいわば自然の恵みとでも呼ぶべきものがある一方で、夏に洪水が起きて野菜が全部駄目になったりもしますよね。決していいことばかりではない。
章:それこそまさに、私が一年を通して撮影することでこの映画で伝えようとしていたことのひとつです。自然は、恵みを与えてくれると同時に、本当になんのためらいもなく、人間の試みを台無しにもしてしまう。実際に洪水があったし、そしてまた別の季節には何日も続く干ばつもありました。また私が今回山形に来る直前には、1週間ずっと雨が降り続いて、一帯の道路が水浸しになってしまい、村からなかなか出ることができなかったんです。
忘却と循環
結城:監督はこの作品で47KM村でまるまる一年を過ごしたわけですが、今後もあの村で生活なさるつもりなのでしょうか?
章:そうです。2020年は「青い家」に一年間ずっと住んでいて、そして2021年は北京にある元々のスタジオと「青い家」を半々ぐらいで行き来しながら過ごしました。2022年には基本的にまた「青い家」に戻ってきて、そして今後ここに住み続けるということを決めています。もう来年には北京のスタジオの賃借期限が来るので、引き払って「青い家」に引っ越すことを決めているんです。
結城:この作品では、2020年という現代史においてもかなり世界共通に特殊な年を切りとり、繰り返されてきた人々の営みと重ね合わせながら見事に描いています。でもそれから3年ばかりが経ち、あたかもそれはもう過ぎ去ったことであるかのように私たちは生活していますが、この映画を見ているとふと思ってしまいます。私たちはあのときなにが起こったのかを本当に理解したのだろうか? と。
章:そこには複雑な問題があると思います。他の国の事情はわかりませんが、中国ではコロナ禍で非常に強力な政策がとられ、それが3年という非常な長期にわたったのです。それが終わったとき、ある一夜を境に急にまた変わってしまったというような状況でした。
いったいこのウィルスはなんなんだろうかということについては結局みんなよくわからないのだと思います。それは、私たちは当たり前に暮らしながら、それでもこの“国”に暮らしているということがどういうことなのかよくわからないのと同じように。同時に、ウィルスそれ自体とはまた別に、“コロナ禍”という問題があって、私たちが直面していたのはウイルスそのものよりも多く“コロナ禍”ということに影響されていたのではないかと思うんです。日本では、みなさんが直面していたのは、ウイルスだったんでしょうか? それとも“コロナ禍”と名指されたもの、それにまつわる諸々の事態だったんでしょうか?
結城:この映画の冒頭にある、「コロナウィルスってどういうものだと思う?」という子どもたちへの問いかけを、私たちは可笑しく微笑ましいものとして見てしまいます。でも結局本当のところ、我々が彼らよりもこのことについてより知識をもっているわけではないと思ってしまいます。
章:私たちには、生活の中で身体に刻まれていく記憶があります。しかしその一方で、人々はかつて起きたことを忘れようともします。この忘却に向かう力もまた非常に強いという気がします。先程、この映画を見てくれた中国の留学生と話したのですが、その方の中国にいる家族は、コロナ禍のことをまったく語りたがらないのだそうです。早く忘れてしまった方がいい、あたかも忘れることによってようやく前に進めると考えているかのようだと話していました。つらい過去を忘れるということも人間の能力だと思います。
ですが、この映画の序盤に「災難というのは一回で終わるものではなく、繰り返し時を置いてやってくる」と語る女性が出てきます。彼女は私の遠縁のおばなのですが、私は彼女のような考えもまた重要だと思っています。もし災難がかたちを変えてまた繰り返しやってくるものならば、忘却してなかったことにしてしまえばすべて解決するわけではないのです。
そしてもうひとつ考えたのは、私たちの日常生活というのは、いかに容易に持ち去られてしまうか、奪われてしまうか、ということです。ある根を持った生活様式、これまで続いてきた持続可能な生活様式が、いかに容易に奪われてしまうのかということを、私はこの作品をつくっている間、ずっと考えていました。
結城:あなたの作品は村の人々の営みを長期間にわたって記録し続けています。それは忘却に抗う行為だと思います。それと同時に、あなたの近作は特に子どもたちの想像力から大きな力を得ているような気もします。忘却に抗い、来るべきものを想像すること、それは特にこの時代にこそ、必要とされているもののような気がします。
採録・構成:結城秀勇
写真:石川寛晃/ビデオ:佐藤寛朗/通訳:秋山珠子/2023-10-09
結城秀勇 Yuki Hidetake
映画批評、編集者。共編著に『映画空間400選』(LIXIL出版、2011年)、共著に『エドワード・ヤン再考/再見』(フィルムアート社、2017年)、『ジョン・カーペンター読本』(boid、2018年)、その他映画パンフレットへの寄稿など。