村上浩康 監督インタビュー
都市の干潟から映し出された自然と文明 社会の構図
Q: 映画の中で、おじいさんの豊かな表情が魅力的でした。おじいさんが自身の過去を話す場面もありましたが、撮影の際、信頼関係を作るうえで意識されていたことはありましたか?
MH: まず出会いから話しますと、私が彼に声をかけたのではなく、おじいさんのほうから私に声をかけてくれました。干潟を舞台にした映画を撮ろうと多摩川に通っていたところ、地面にカメラを向ける私を見た彼から「環境省の人ですか?」と聞かれました。多摩川のシジミの乱獲を訴えたかったと言い、多摩川で猫と一緒に暮らすこの人は誰だろう、と気になりはじめました。初めはシジミの乱獲問題や捨てられた猫たちについて撮らせてほしいと申し出ていましたが、シジミ漁の後一緒にお酒を飲んだり、話したりしているうちに、過去についても話してくれるようになりました。半年以上たってから、祭りの帰りにおじいさんと酒を飲みながら話した際、あなたについてのドキュメンタリーを撮りたい、と話したところ「いいよ」というこころよい反応で、俺を撮るならもっとちゃんと漁を撮らなきゃだめだよ、とまで言ってくれました。おじいさんと過ごしていたときは、私がつまみを差し入れると、彼がもつ鍋や牛すじ鍋など、手料理を作ってくれることもありました。
Q: 印象的だったけれどもカットされたエピソードはありましたか?
MH: おじいさんには実は家族がいて、そのエピソードも入れたかったのですが、時間の都合上カットされています。
Q: シジミのクローズアップなど、とても神秘的な映像でした。テクニカルな面で、こんなふうに撮りたい、というこだわりはあったのでしょうか?
MH: 私がドキュメンタリー映画で重きを置いているのは、ドキュメンタリーの部分よりは映画の部分です。まず画作りをなるべくしたいと思っています。漁をするおじいさんを撮りながら、その環境を一緒に写しこみたい、彼の後ろを飛ぶ飛行機、高速道路、周りの象徴的な環境も一緒に捉えていきたいと思っています。環境も同時に捉えないと、見えてこないものもありますので、使っている機材は普通のビデオカメラですが、なるべく望遠にして、離れて撮りました。そうすると背景が際立ち、ひとつのフレームの中に入れることができるので、それを意識していました。
Q: オリンピックに向けての開発が進んでいました。時代の流れを経験してきたおじいさんと、あくせくした開発の間に、対照的な視点を感じました。こうした映画を撮りながら、監督はこれからの日本についてどのような展望を持たれたのでしょうか?
MH: 都市の最下流に位置する干潟には、人やペット、都会のゴミなど様々なものが流れてきます。干潟に初めて行った時、飛行機が飛び交い、煙や炎が立ちのぼる工業地帯があり、自然と文明の境界にいるような気持ちになりました。一方で、東京のど真ん中であるここに来れば、違う東京、もっと言えば今の日本の姿が、文明と自然の両方の視点から見えるだろうと思いました。たとえば、アジサシという鳥がいなくなったり、工事によって泥が堆積し、シジミやゴカイなどの生き物が捕れなくなったり、そうした環境の変化、工事による文明の変化、その陰で虐げられていくペット、いろいろな社会の矛盾ですとか、ものごとが見えました。これからについてはわかりませんが、4年間の撮影で、当初予期していなかったそれらのことが見えてきました。
(構成:八木ひろ子)
インタビュアー:八木ひろ子、佐藤寛朗
写真撮影:佐藤寛朗/ビデオ撮影:加藤孝信/2019-10-04 東京にて