張齊育(テオ・チーユー) 監督インタビュー
移民だった祖父の郷愁を紡ぐ
Q: おじいさまがガンの告知を受けてからの撮影ということで、つらいシーンもあるのではと考えていましたが、笑顔が印象的な作品でした。
TQ: 苦しさやつらさは撮っていないけれど、故意にそういう部分を避けたわけではありません。私は祖父が亡くなる1カ月前には撮影を終え、祖父のケアに専念していました。家族には楽観的なタイプが多く、特におじがそうです。普段の感じのまま気さくに話してくれました。
Q: 撮りはじめるきっかけは何だったのでしょうか?
TQ: 祖父があと5、6カ月の寿命だと宣告されました。私は国外の大学に進学するので、祖父と一緒にいられる残り少ない時間を記録に残しておきたい、カメラに収めておきたいと思いました。撮ったら見せることが最終的な目標になるわけですが、はじめはそれを映画にしようという意識はありませんでした。
Q: その時間のなかで新たに知ったことはありますか?
TQ: 自分の家族を愛し慈しみ、故郷をとても大事にしていたということが分かりました。祖父は普段あまり自分の人生を語ったりしません。自分がつらかったことも話さなかったので、すごく苦労して11歳でシンガポールに渡ってきたということ以外、具体的には知りませんでした。
撮影をしている時、私は祖父の故郷に対する想いを知りませんでした。最後の1カ月、祖父はよく故郷の夢を見ると言っていました。ふるさとにある自分の生まれ育った家のことを夢に見るのだと。そこまでの想いは私にはあまり理解できませんでした。私のおじも同じです。故郷に寄付をしたり、村の人を助けたりする祖父の想いや気持ちは、理解していなかったと思います。最後の1カ月に初めて、夢に見るほどの強い想いを知ったんです。
Q: 撮影期間はどのくらいですか?
TQ: 祖父の想いが分かってから、祖母とおじに再度インタビューしました。亡くなってから2年経っていました。撮影は2014年の年末から2018年まで。合計すると4年間ですが、真ん中の2年は泣けてまったく手が付けられない状態でした。でも、祖父の想いを仕上げようという強い意志がありました。
Q: 中国語と英語のタイトルは監督ご自身がつけたものですか?
TQ: 自分で英語のタイトルもつけましたが、私は中国語の『一路來(Yi lu lai)』というのが一番ふさわしいと思っています。絶えずこのようにやってきたという意味です。故郷から今暮らしているシンガポールに来たけれど、この長い道のりをやってきても、想いは自分の故郷にあるということですね。
Q: 生まれ育ったシンガポールが監督の故郷だと思いますが、おじいさまの故郷は監督にとってどのような場所でしょうか。この作品を撮影し編集したことで何か変化はありましたか?
TQ: シンガポールは中国やマレーシア、タイ、インドなどから多くの人が来た移民の国ですが、私自身は生粋のシンガポール人です。一度祖父と一緒に中国の福建省に行ったことがあります。でも、言葉はひと言も分からないし、食べ物もあまり口に合わなくて、私にとって中国は遠い場所でした。外国です。それは映画を撮った後も変わらないですね。祖父がずっと持ち続けていた想いを私はとても体験することはできないし、自分のものにはできないと思いました。
(構成:安部静香)
インタビュアー:安部静香、田寺冴子/通訳:樋口裕子
写真撮影:徳永彩乃/ビデオ撮影:森崎花/2019-10-13