伊藤憲 監督インタビュー
表現者としての怪物性が目覚めるとき
Q: 以前、吉増さんのドキュメンタリー映画を撮ったことがあると聞きました。なぜ再び、それも震災後のタイミングで吉増さんを撮ろうと思ったのですか?
IK: 2011年3月に、凄惨な東日本大震災が起こりました。しかし年の暮れごろには、東京で暮らす人々が震災を忘れはじめているという感覚を持ちはじめ、同じく東京で暮らす自分がどうやって震災をとらえ、責任を果たしていくかを考えなければならないと思いました。そんなとき、「3.11」や「東日本大震災」という固有名詞だけでは説明しきれないあの出来事を、その全容や細部を表現できる言葉で新たに名づけるという試みで、詩人としての責任を果たそうとしている吉増さんの姿勢に共感を覚えました。それが彼を撮ろうと思った理由です。かれこれ出会って15年ほど経つので、ふたりの間には時間の積み重ねで生まれた独特な間合いがあります。
Q: 監督自らナレーションを担当していますが、言語を超越する吉増さんの詩を解釈し、ナレーションという手段で言語化することに対しての葛藤はありましたか?
IK: まったくありませんでした。むしろ、この映画で「自分は吉増さんの詩をこう解釈しました」と表明するために、自らナレーションを担当したいと思ったくらいです。小川紳介監督のように、登場人物たちに気持ちを込めて語りかけるというのがひとつの憧れでもありました。そして、私の吉増さんの詩に対する解釈は、あながち間違いではないと思っています。ナレーションを映画に入れることに対しては悩みました。ナレーションを排し、音と映像で表現するのが映画だと思っていますから。でも、喋ることなしにして、この作品を観てくれと言うのも駄目だし、テレビ番組としても成立しないと思いました。テレビを作りながら映画に届く表現を模索していて、そのせめぎ合いのなか、自分で喋ることにしました。それもひとつの記録の仕方だろうと。
Q: この作品を作るに当たって、心掛けたことはなんですか。カメラワークにも、こだわっているように思えたのですが?
IK: 言葉、色彩、香り、音、触覚と、自分の幻想が結びつく瞬間が吉増さんにとっての詩だと考えているので、とにかく吉増さんの体、指、ペンの先、紙、紙の表情をしっかり映すことを心掛けました。それを繋げれば、体を媒体にして何か大きなものから言葉を得る、吉増さんの姿を感じてもらえるという自信はありました。映像の撮り方について、特に指示は出していません。監督の見方とカメラマンの見方を組み合わせ、ひとつのものにしていくのが私の仕事です。そういえば、吉増さんの書く文字が、想定よりもはるかに小さいものだったので、カメラマンが文房具屋に行き、大きいレンズを買ってビニールテープでぐるぐる巻きにして、即興でクローズアップレンズを作ったということがありました。
Q: 東日本大震災以前の吉増さんと、以後の吉増さんに変化はみられましたか?
IK: 吉増さんは、私に再会するなり「伊藤さん、ようやく始まったよ」と。本当に表現すべき何かと、巡り会ったように見受けられました。73歳にして「ようやく始まった」と言える人間がいるでしょうか。世の中には、自分の奥底にうごめく、表現者としての怪物性が目覚める瞬間を持つ人がいるのです。もしかしたら、私も吉増さんと出会ったことで、自らの怪物性が目覚めてしまったのかもしれません。
(構成:吉岡結希)
インタビュアー:吉岡結希、佐藤寛朗
写真撮影:佐藤寛朗/ビデオ撮影:加藤孝信/2017-09-28 東京にて