エリック・カベラ 監督インタビュー
現在のルワンダに生きる人々のありのままの姿を見せたい
Q: 歌や踊りを通じ、私たちが知らなかったルワンダの姿を見ることができました。
EK: この映画は、いわばルワンダ紹介です。過去から現在までルワンダの、ありのままの姿を描いたつもりです。当然、現在のルワンダは虐殺を抜きにして語ることはできません。ですが、この映画には何か希望を持たせるものを与えたかった。とりわけ国外の人々に、ルワンダに生きる人々の声や表情を見せたかったのです。確かに虐殺はあったけれども、あれはこの国の一面でしかないのだと。
Q: この映画で描かれたものは、ルワンダの本当の姿でしょうか。それとも監督の理想としている姿でしょうか?
EK: 現在のルワンダは経済的に急速に進歩し、政治的な成熟に向かっています。ただ、良い面ばかり見せていてはプロパガンダになるでしょうし、現在の社会や政治に特化した映画にしたくもありませんでした。私が見せたかったのは、ルワンダ人のアイデンティティを祝福し、人生を賛美する姿、人々をつなぐシンボルとなるようなものです。ただ、負の遺産とトラウマは、この先も消えることはありません。映画を使ってストーリーを伝える者として、この歴史を皆さんと共有したいのです。幸いなことに、今回のヤマガタのように世界各地でその機会を得ています。この悲劇を広く伝える必要があります。それがフィルムメーカーとしての責任であり、ルワンダ市民としての役割だと思っています。
Q: トラウマを乗り越え、和解を果たした人たちが登場します。これはよくあることなのでしょうか?
EK: 被害者と加害者が隣り合って座り、平和を説いているのですが、これは希有なことです。映画では、和解・許しの場面として取りあげましたが、被害者の気持ちを思えば、私にとっても見ていてつらいものがあったことは事実です。実はルワンダでは、国の政策として和解の促進が掲げられており、加害者は許しを請い、被害者は寛容に受け入れるという、ある種のお達しがあります。まだ過渡期と言える社会のなかで、虐殺の生存者には、復讐という手段には訴えないまでも、会話をすることにも抵抗がある人たちだっているのです。ただ、こうした和解をひとつの象徴として賛美していこうという方向にあることは確かです。
Q: 監督は、後進の育成にも熱心だとうかがっています。アフリカの映画制作の現状に対し、どう考えていますか?
EK: 私は難民として国外で生まれ育ち、1994年の虐殺後に初めてルワンダを訪れました。英語を使って海外メディアの取材を手伝うなかで、負の記憶が残る場所に何度も足を運びました。そうして現代史の案内人を務めるうちに、自分自身も歴史を記録する映画の制作に携わるようになりました。
今、映画をつくる若い世代を育成する教育の場をつくろうとしています。ルワンダの歴史を伝えたり、ドキュメンタリーを制作したりという場をつくり、多くの人々とアイデアを共有したいと思っています。今回、ヤマガタでアフリカのことが語られていることに非常に勇気づけられました。アフリカの現状を考えると、私のようにヤマガタに来られる人間は、特権を与えられているのです。 教育に関しては、まだ実績があるとは言えませんが、それは私たちが果たすべき非常に重要な仕事だと考えています。当然のことですが、歴史を伝えるには最低限の知識が無ければできません。教育がすべての鍵なのです。知識があったうえで判断ができなければ、些細なことでも紛争につながってしまう危険があるのですから。
(構成:沼沢善一郎)
インタビュアー:沼沢善一郎、吉村達朗/通訳:松下由美
写真撮影:野村征宏/ビデオ撮影:吉岡結希/2017-10-08