村上賢司 監督インタビュー
デジタル時代の8ミリフィルムから「映画とは何か」を考える
Q: 作品を拝見して「観客」というのがひとつのキーワードだと感じました。この映画を制作される際に、どのような観客を想定されましたか?
MK: 観に来てくれる人があれば誰でもいいんです。僕は、映画とは何かというのをずっと考えていて、それは作品ではなく、体験する時間だと思っています。リュミエールの発明はスクリーンに投影したことであって、動画の発明が映画の発明ではないと思うのです。不特定多数の人でひとつの時間を画面に向かって共有する体験が映画だと僕は考えていて、それをフィルムの作品で再構築したいと思ったのがこの作品です。
Q: 『後ろに振り向け!』は、アイデアや構成をあらかじめ考えてから撮影されたのですか?
MK: それはしています。映写機だとか、そういうものの存在を知らしめたい、存在を感じてほしいというコンセプトでやっています。観客への呼びかけや8ミリならではのことも作品の中で試しました。たとえば、映画のタイトルを紙に書いてパッと撮っています。今はどこかから持ってきたフォントで簡単にできますが、昔はああやって画用紙にタイトルを書いていたんです。そういった手作業的なものの面白さも、作品に込めているつもりです。
Q: フィルム文化が失われていく危機感は感じていらっしゃいますか?
MK: どうやってデジタル作品を残すのかという疑問が、まずあります。リュミエールの100年以上前のフィルムがいまだに観られるのは、あれが物質だからであって、もしデジタルデータだった場合、確実に残せるのかという問いに答えがないんですね。作品というのは、今を伝えるというのがありますが、今を残す意味もあります。たとえば、データや8ミリビデオで撮った子どもの思い出が、今は再生できなくなってきています。そういう業者があるぐらいですから。こういうことを考えぬまま突き進んでいる世の中に対して、言葉と作品を投げかけたくて、フィルムにこだわっているというのはありますね。デジタルを否定しているわけではなく、両方あっていいと思うんです。それを、フィルムという物質的なものをなくしてしまったというのが問題ではないかと思います。
経済の理論ではフィルムがなくなる方向であることは分かっているのですが、映像や表現の多様性を残すということであれば、それを簡単に捨ててしまっていいのかという疑問があります。8ミリのよさには、にじみだとか不鮮明さであるとか、要するに失敗だからこそ生まれた映像というものがあるわけです。
僕が一番好きなのは、息子と話しているときに息子の友だちが来るところです。この場面、一秒も映っていないんですよ。でも、これが一番面白いと思っています。「先生のお手紙作りをしてきます」などと息子や友だちが言っている音だけでよくて、あれがもし映っていたら、つまらなくなっていたと思うんです。音だけが聞こえていることで何か想像できるのは、すごく面白いし、何が起きるかわからないワクワク感があります。そういうところで、人間に新しいイマジネーションを与えるわけです。
(構成:森末典子)
インタビュアー:森末典子、大川晃弘
写真撮影:永山桃/ビデオ撮影:加藤孝信/2017-09-26 東京にて