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YIDFF 2017 日本プログラム
幽霊 REEL-1〜6 総集編
大西健児 監督インタビュー

ノスタルジックな記号と化した8ミリフィルムとその未来


Q: 『幽霊』はご自身の家族を題材にされていますが、肉親にカメラを向けることに後ろめたさはありましたか?

OK: それはないですね。ホームムービーですから。プライベートフィルムというのは、何かを発信したいための映画とは違うところにあるんです。こういうプライベートフィルムが今回山形で上映されるわけですが、他人の閉ざされた瞬間が当たり前のように上映されてしまうという面白さが、本来の8ミリフィルムの面白さですからね。

Q: なぜ8ミリフィルムの制作にこだわりつづけていらっしゃるのですか?

OK: 単純に好きなオモチャだからというのが、まず一番ですね。そして、お金で買えない職人技を唯一発揮できる場所だから、あえてやっています。かといって「8ミリ映画」なんていう職業はないので、3割くらいは8ミリでこだわっています。それは自分がフィルムメーカーとして、もう20年前からやっている流れの中で続けていることです。今、8ミリが死にそうで死なないという面白い状況にあります。そんな状況そのものが作品のちょっとした仕掛けとなって、「この題材を、今こういう状況にあるこの機材で撮ると面白い」というテーマがみえてくることもあります。死にかけたカメラと死にかけたフィルムで死にかけた人間を撮ればどうなるかというのも、『幽霊』のひとつのテーマかもしれません。

Q: 期限切れのフィルムを使用された狙いは?

OK: 物理的に無理なフィルムと知ったうえで、あえて使う面白さがあります。そして、そこからまたカメラを向けるということ、特に目の前の状況をどうやって撮るかということが重要です。デジタルやビデオと違い、特に8ミリのリバーサルは、実際その場に存在したフィルムに記録されるという、面白いメディアです。要するに、映っていなくても、そのフィルムはそこにあったという証明が重要になります。もし何も映っていないうえに音も聞こえないフィルムであれば、作品にもならないし困ったのですが、サウンドフィルムを使って、そのくぐもった音を拾ったら、確かにこの音はカメラがその場所にあったことの証明になります。画は死んでいても音が生きていれば、この真っ黒、真っ白なフィルムも使い勝手がいいなというのは、8ミリ映画の語り口のひとつとしてあるかもしれないですね。

Q: 『幽霊』の試写版では、村上賢司監督がデジタルカメラを構えているシーンがありました。デジタル文化への批判が込められていたのですか?

OK: 批判ではなく、デジタルでもいいと思っています。ただ、数年前に映画『桐島、部活やめるってよ』で神木隆之介がフジカの8ミリカメラを持ったポスターがそこら中にあふれたとき、8ミリがボンクラでノスタルジックな記号になってしまったと思ったんです。この状況はダメだと感じました。

 8ミリはもうおしまいかもしれないと言われていますが、「終わる終わる詐欺」をしているところが実はあって、実際終わりはしないし、10年後も20年後も自分は廻していると思います。『幽霊』の後半であえてクレジットを「2043年」と書きました。もしかすると自分は死んでいるかもしれないけれど、少なくともあと10年、20年先もこちらは8ミリを作っていくから、そのためのタイトルとクレジット撮りはすでにやっていますよ、という仕掛けを入れてあるんです。果たしてどうなることでしょうか。

(構成:森末典子)

インタビュアー:森末典子、大川晃弘
写真撮影:永山桃/ビデオ撮影:加藤孝信/2017-09-26 東京にて