アヌシュカ・ミーナークシ 監督、イーシュワル・シュリクマール 監督 インタビュー
記録という意味を越えて
Q: 私は、この映画に出てくる村が音に包まれているのを体感することができました。この村を知ったきっかけは何だったのでしょうか?
アヌシュカ・ミーナークシ(AM): 2011年にインド国内旅行をした際に、この村と偶然出会いました。その時、私たちが作った映画を、学校の子どもたちに観せたら、「うちの村でも撮影してよ」と言われました。村は収穫の時期で、なんとなく畑のほうを見に行ったら、米袋を担いだ村の人々が、歩きながら歌っていたのです。私たちは、厳しい山道を2時間歩いてクタクタでしたが、その歌を聴いてエネルギーが湧き、歩く元気が出てきました。予想以上の音楽の力を実感しました。
イーシュワル・シュリクマール(IS): この映画は、大きなプロジェクトの一部なんです。私たちはこの映画の他にも、音楽と日常生活との関わりというものを探っています。今までも、30秒や3分、5分などの短編を撮っていましたが、みんなから「面白いけれど、このコンテクストは何なの?」と聞かれていました。インド国内で他の映画を撮っていて、コンテクストはどうすれば伝えられるのだろうと考えていた時に、2011年に訪れた経験を思いだしたんです。あの村はとても素晴らしかったから、あそこに戻って、集中して作品を撮ってみようということになりました。そして、2013年に撮影を始めました。
Q: この村には、キリスト教の人もいて、讃美歌を歌っているそうですが、讃美歌の合唱と村独特の歌に、違いを感じられましたか?
AM: 教会で歌う曲も、田んぼで歌う曲も、感じられるエネルギーは同じだと思います。彼らは音楽や音符を習ったことがありません。すべてを、ハーモニーを奏でるときに学んでいます。ある村で、大勢で讃美歌を歌っているのを聴いたのですが、その時のハーモニーは素晴らしいものでした。彼らは、普段から田んぼでハーモニーを練習しているので、教会で讃美歌を歌う時も、ぴったりと音を合わせられるのです。
Q: 伝統的な合唱文化を残すためのお祭りに、若者たちは率先して参加しているのでしょうか?
IS: そのお祭りでは、教えるということが彼らにとって、とても大切なことなのです。以前、20人の村人たちを連れて、ムンバイでコンサートをしたことがあります。その時に「選ばれた20人は村でも歌が上手い人たちなの?」と聞いたら、「この人たちは歌ったことがない子だ」という答えが返ってきました。歌を知らない子たちを選んで教え、その子たちが歌うことで、他の子たちにも興味を持ってもらいたいということでした。
Q: 村に滞在中、監督も村人たちのように歌を歌われましたか?
AM: 少し挑戦してみました。収穫の時は一緒に歌って、とても楽しかったです。山登りをしているときには、歌うことでエネルギーが湧いてきました。私たちふたりでいる時も少し試しましたし、村のみんなといる時も歌いました。
IS: 私たちは、席を立つときに「よいしょ」と言いますが、あれを音楽とは思っていません。ですが、実はあれも歌の一種なのだと思います。「よいしょ」と言いながら、息を吸ったり吐いたりするわけですが、私たちがそう認識していないだけで、それも歌なのではないかと思います。
(構成:高橋明日香)
インタビュアー:高橋明日香、薩佐貴博/通訳:中沢志乃
写真撮影:楠瀬かおり/ビデオ撮影:薩佐貴博/2017-10-09