ピエール=フランソワ・ソーテ 監督インタビュー
個人としての移民を観せる
Q: ジョバンとジョゼという、とても魅力的なふたりが主人公でしたが、彼らに関して、性格やルーツといった部分はあらかじめ細かく設定されていましたか?
PFS: 始めから葬儀社と、そこで働く人々を撮りたいとは考えていました。そのなかで、遺体の搬送の話を聞いて興味を持ち、それをやっている会社で映画を撮ることに決めたのです。そこで働いている80名ほどの従業員の中に、ふたりがいました。インタビューをしたうえで、先にジョバンが映画にでることが決まり、ジョゼが決まったのはもう少し後になります。ジョゼとジョバンを撮影していくうちに、彼らが持つユーモアや、彼らの関係の中にお互いへの優しさと尊敬の念を感じ、それがとても気に入りました。ふたりの性格の違いは、この映画の要だと思います。外国にルーツを持ち、教養のあるふたりを映画に使うことで、葬儀社で働く人や、移民に対する既存の見方を壊せるのではないかと思ったのです。
Q: ふたりの会話には、脚本などはあったのでしょうか?
PFS: これは純粋なドキュメンタリーです。よく脚本があるのかと聞かれますが、そうではありません。ただ、編集によってそのような印象を与えたのかもしれません。大部分の会話は、自発的にふたりから生まれましたが、私が編集を行った会話もあります。撮影時、私はふたりが乗る霊柩車の後ろに乗っていて、面白そうな議論のテーマを彼らに伝え、それについて話してもらったりもしました。
Q: 「故郷の南イタリアを離れたすべての男たちに捧げる」とのことでしたが、すべての移民へではなく、特定の地域の人々に捧げる映画を撮ろうと決めたきっかけは何だったのですか?
PFS: 50年代以降、南イタリアからスイスへ働きにくる季節労働者がたくさんいました。その人たちへこの映画を捧げるということが大切でした。当時は不安定な状況で働いていた彼らも、今では80歳を超えている人ばかりです。そのなかには、すでに亡くなった人や、自分の国に戻りたいと望む人もいます。彼らの存在が、この映画を作りはじめたきっかけです。撮影する前の段階から、イタリアのことは頭の中にありました。私の周囲にはイタリアからの移民やその子孫たちがいます。それもあって、長い間イタリアへの興味を持っていました。次第に、映画の視点は、「地域を越えて、世界中を旅する人」「よりよい生活を求めて移動をする人」へと広がっていきました。
Q: 世界的に、移民をひとくくりにして問題視する流れがあります。「個人としての移民」に焦点をあてた映画を撮られた監督として、この状況をどのように見ていますか?
PFS: まさに、その問題に関しては非常に興味を持っています。現在、ヨーロッパは次第に閉鎖的になってきています。そういったなかで、今のドキュメンタリーの多くは、十分に踏み込めていないと感じています。このようなドキュメンタリーとは、一線を画したものを撮りたいと思っていました。移民というのは、顔のない人などではなく、私やあなたのようなひとりの人間で、それぞれに興味を持ったり、利益を追いかけたりしています。そういうことを観せたいと思いました。
(構成:遠藤千帆)
インタビュアー:遠藤千帆、佐藤朋子/通訳:梅原万友美
写真撮影:赤司萌香/ビデオ撮影:楠瀬かおり/2017-10-08