マーヤ・アブドゥル=マラク 監督インタビュー
イメージの中の故郷
Q: 繰り返し登場するコールショップの前の景色が、映画が進むにつれ、次第に重層的な意味合いをもって見えてくるのを感じました。このショットについて、またコールショップという限られた場所で物語が展開することについて、どのような意図があったのでしょうか?
MAM: 父の手紙の朗読をあの景色と重ねることで、ムスタファたちの物語と父の物語が時代を超えて共鳴し合うようなことを考えていました。彼らは時代こそ違いますが、基本的には同じ条件、状況にあります。
また、あの景色はここ(パリ)であると同時に向こう(祖国、アルジェリア)でもあるのです。この映画ではコールショップという限られた場所を通して、その空間にいかに自分を存在させるかという問題を扱いたかった。実際にはムスタファが働いているところや、インタビューなども撮っているのですが、最終的には使いませんでした。何故なら、コールショップというこの場所が一番重要だったからです。閉ざされた場所ではありますが、そこにいろんなものが持ち込まれている。いかに自分がいる場所との関わりを作るのかということを、この場所がすべて物語っていると思います。
Q: ムスタファが14年ぶりに故郷に帰る際、母と電話するシーンが、フレームの外の故郷との距離や、14年間という時間を強く想起させ、印象的でした。
MAM: ムスタファと母親との会話のシーンには、どこかその距離や空間を飛び越えてしまっている、あたかも彼女がそこにいるような感覚があると思います。私たちのような移民にとっては、自分がどこにいるのか、そしてその場所にどのように自分を書きこんでいくのかということが、常に大きな問題としてあります。彼らはパリにいますが、それは一時的なものである、と少なくとも彼らは思っています。つまり帰る時を待っているのです。しかし実際には帰らない。その意味では祖国というものが頭の中の夢の空間、イメージになってしまっている。それがムスタファが最後に「何か行き詰まる感じがしている」と電話で話すことでもあるわけです。最後にムスタファがまたパリへ戻ってきたところで終わりにしたのは、また繰り返す、戻ってきてまた始まるということを印象付けたかったからです。14年間という、移民生活の繰り返しと、何かを待っている時間、それを映画の中に取り込みたかった。
Q: 朗読される手紙の独特なリズムをはじめ、映画自体がとても音楽的だと感じました。
MAM: 編集段階で難しかったのは、退屈にならないようにリズムを残すことでした。朗読される手紙の中にはある種の時間性というものがあって、それは先程も述べたように移民である彼らが同じことを繰り返している、何かを待っている、という時間性です。繰り返しを感じさせながら、またかと思わせないようにするのが難しかった。
町の音、車の音が都会的な音楽を生み出しています。手紙を読む声に関しては、その声が町の中に溶け込むようなことを目指していました。すべてが混ざり合っているということがとても大事だったのです。なぜならそこにいる各人が、自分の祖国を遠くこの国に持ってきている人たちで、それがこの場所をここでもなく向こうでもない、両方が入り混じった第三の場所たらしめているからです。フレームの外の見えない、不在である祖国が、音を通して持ち込まれているのです。
(採録・構成:宮田真理子)
インタビュアー:宮田真理子、川島翔一朗/通訳:藤原敏史
写真撮影:鈴木萌由/ビデオ撮影:高橋明日香/2015-10-10