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YIDFF 2015 アジア千波万波
離開(りかい)
金行征(ジン・シンジョン) 監督インタビュー

天姥山から消える子どもを追って


Q: 子どもの心のまっすぐさ、純真さが、映画全編に映しだされている作品だと思いました。『離開』というタイトルに込めた、監督の想いをお聞かせください。

JX: 撮影された地は、天姥山という、李白がその山脈の綺麗さに魅了されて詩を歌ったほど、豊かな自然に恵まれた場所にある村です。しかし、この村は生活するにはとても不便で、住民のほとんどが村から出ていく、という現状にあります。映画の冒頭に、廃墟になってしまった学校を映し、村から子どもたちが減っている現状を静かに示しています。この光景は、実際に私がこの村を初めて見た時とシンクロしています。中国語で“離開”とは、消滅していく、という意味があります。人々がこの村から去ることで、村に誰もいなくなり消滅してしまうのでは、という私の危惧も示唆しています。

Q: 子どもを映す時のカメラワークが、他のシーンとは違う印象を受けたのですが、その時に一番に考えていることはなんでしょうか?

JX: 基本的に1人で撮影をしています。なので特別なことがない限り、録音をしっかりできるようにするため、固定でカメラを廻しますが、子どもの“心”を撮りたいときは、その子どもに寄り添えるように、カメラを持った自分自身が動くことを心がけています。録音するときも、なるべく静かな気持ちと静かな視線で、その人物を捉えるようにしています。と言っても、被写体自身がもつ元々のイメージを壊すことはしたくありません。たとえば、子どもが青い傘を持って、茶摘みをしている母のもとへ駆け寄るシーンですが、もしこのシーンを移動カメラで共に動いて撮るとするならば、事実とは異なる、「この子は1人ではない」という印象を与えかねません。なので、固定カメラを使い、引きのショットで撮ることで、山の中にポツンと母子がいる静けさと孤独を、表現したかったのです。

Q: 裘爐虹(チウ・ルーホン)少年を映し出す一連のシーンが、とても心を打つものでした。このシーンについて話していただけますか?

JX: この少年を撮るにあたって、3台のカメラを廻しました。人物を捉えようとするときは、このように何台も廻すことも例外ではありません。そして爐虹に、彼の母の話を聞きました。その時に、爐虹が泣いたのは私にとって意外なことでした。彼は、父親にとって遅くできた子どもであり、かつ爐虹が5、6歳の頃に母親がいなくなっています。そんな爐虹が言った、父親が幸せになってほしいからお金持ちになりたい、という言葉は、父親にとって感動する言葉であるとともに、それ以上に父親と祖母にとって非常に辛く悲しい言葉であったと、私は痛感しました。この作品は完成まで2年かかりましたが、撮影の終盤、祖母は亡くなり、父子も街に移り住むことになり、この家族は山の村から結局は“離開”していったのです。

Q: 中国の都市部と農村部で広がる格差を暗喩的に示した本作ですが、一番誰に観てほしいと、お考えですか?

JX: 中国国内で豊かな省である浙江省であっても、このような格差はあります。なので、インターネットやテレビでたくさんの人が観てくれることで、この子どもたちの現状を多くの人に注目してもらうというのが、私がカメラを廻した最初の目的です。この現実を知ってもらい、何かしら社会的な手助けができれば良いな、と考えています。

(採録・構成:平井萌菜)

インタビュアー:平井萌菜、原島愛子/通訳:樋口裕子
写真撮影:狩野萌/ビデオ撮影:宮田真理子/2015-10-09