代島治彦 監督インタビュー
記憶の井戸が染みだしてくる感触
Q: 三里塚闘争が題材なので、政治的な要素が色濃い映画を想像していましたが、印象はまったく異なりました。まるで山形の農村のおじいちゃん、おばあちゃんの話を聞いているような感覚になったのですが、映画制作において彼らを身近な存在にしようと意識されていたのでしょうか?
DH: 当時を闘った人たちが、現におじいちゃんとおばあちゃんになっているんです。糞尿弾を投げたり、鎌を持ったり、新左翼のセクトと一緒に闘ったりした農民たちもみんな同じです。ただ、私たちは三里塚闘争をテレビや新聞、そして小川プロダクションの映画の中の“伝説”でしか知りません。歴史的にはステレオタイプな先入観しか残っていないのです。『三里塚・第二砦の人々』のように肉弾戦で闘い、身体を張って機動隊を制止したことも事実ですが、闘った人たちは無名の、普通の人たちだったということが、実際に会ってみてよく分かりました。私も小川プロの映画でしか見たことがありませんでしたから、先入観がガラガラと崩れていくようでした。
Q: 登場人物が抱えているそれぞれの想いを、映画としてまとめるのは大変だったのではないですか?
DH: 彼らが闘ったのはずっと昔のことで、今では当時のことを日常的に語ることはありません。成田空港周辺は、空港と共生していく新しい時代に入っていますし、特に村から移転した人は後ろめたい気持ちもあって、昔のことは話したくないという雰囲気があります。いわば記憶の井戸が枯れていて、その後の人生で降り積もったもので塞がれているのです。ただ、記憶そのものはずっと持っています。彼らに昔の話を聞いていくうちに、枯れていた記憶の井戸が染みだしてくる感触を得たいと思っていました。実際に訪ねると、あまり昔の話を聞かれるということがなく枯れたようになっていた井戸が、ちょっとずつ湿ってきて、記憶の水が自然に出てきました。すると、井戸の下に流れている水脈はみんな一緒だったのです。それが映画全体に流れているものです。人間にとって過去の悲しいことや傷ついたことは、忘れたいけれど、人生でとても大事なことです。それを撮影していきました。のんびりとやっていましたよ。
Q: 今回、山形映画祭で上映されますが、どういうお気持ちですか?
DH: 大津さんが健在だったら、とても喜んだと思います。小川さんとは「三里塚」シリーズの1作目『日本解放戦線・三里塚の夏』まで相棒として映画を制作したけれど、そこで袂を分かつことになりました。大津さんにとっては『日本解放戦線・三里塚の夏』があって『三里塚に生きる』というつながりなんです。最初期の闘いと、その40数年後の祭りの後、この2本を撮影することができたのは、大津さんにとってすごく嬉しいことでした。気持ちだけでも山形に連れていきたいです。
Q: これから先、考えているテーマはありますか?
DH: 『三里塚に生きる』の上映活動で、いろんな人に会ってきましたが、新左翼のセクトの人たちとも会いました。彼らの中には三里塚で人生が変わったという人もいます。70年代後半からは、彼らが闘争の主人公になって、農民が主人公じゃないもう1つのドラマが生まれてきました。内ゲバや反対同盟の分裂もありました。おそらくあの時代、日本の戦後史に取り憑いた悪霊がいるのです。その悪霊、特に三里塚に住み着いた悪霊を描きたいと思っています。
(採録・構成:沼沢善一郎)
インタビュアー:沼沢善一郎、鈴木規子
写真撮影:鈴木規子/ビデオ撮影:加藤孝信/2015-09-25 東京にて