久保田智咲 監督インタビュー
愛する人がいるから、差別が悲しい
Q: この作品を見終わったとき、神聖な気持ちになりました。最後に、誰もいない屠場の作業場が出てきますね。そこがとてもきれいで、神々しかった。あのシーンに、屠場で働く方々の思いがすべて表れているような気がしました。
KC: ありがとうございます。私は「きれいな映像を撮りたい」とずっと思ってきました。きれいとは、単純に言うと「ポストカードにしてずっと持っていたい」と思うような映像です。ですから、今「きれい」と言っていただいてうれしかったです。
Q: この作品は大学の卒業制作とのことですが、“屠場”を題材に選んだのはなぜですか?
KC: 実は、最初考えていたテーマは全く別のものでした。私はもともと動物が大好きで、殺処分される野良猫・野良犬に心を痛めていたので「動物愛護の観点から、何か作品が作れないか」と思ったんです。動物愛護活動をしている方々に取材をしていく中で、蜂蜜や牛乳など動物に繋がるものは一切食べない“ビーガン”という極めて厳格なベジタリアンの方と出会いました。私もビーガンになろうと挑戦したのですが、お肉が好きだから続かなくて。それをきっかけに、私の関心が「私たちが食べているお肉は、どういう工程を経てできるのか」に移行していったんです。近所のスーパーにお願いして、茨城県の屠場を見学させていただけることになり、事前に食肉や屠場について下調べしていくと、どうしても“差別”というのが出てくるんですね。「そういえば学校の教科書に出てきたけれど、本当に今でも“差別”はあるんだろうか?」という疑問が、膨らんでいきました。その後、大学の課外授業で東京の芝浦屠場に見学に行き、さらに個人でも行きました。その中で栃木裕さんとお会いできたのは大きかったですね。あるとき、栃木さんから「奥さんに屠場で働いていることを一切話さずに定年を迎えた人がいた」という話を聞き、とても驚きました。それと同時に、屠場についてのドキュメンタリーを撮りたいと思うようになりました。
Q: 作品を見て、監督自身が映画を作っていく中で、どんどん“差別”について認識が深まっていったように感じました。
KC: 長年差別と向き合って闘ってきた方々の話を聞けば聞くほど、私の視点が“動物のいのち”というところから「屠場で働く人の“思い”や“愛”」にシフトしていきました。映画では“差別”を扱ってはいますが、私は「差別はいけない!」と声高に訴えたかったのではありません。家族や大切な人を守りたいという思いがあるから、差別が怖くて悲しいんだと思います。このことは、私にとって大きな発見でした。
Q: 監督ご自身が出演していますが、どのような意図があるのでしょうか?
KC: この物語を見ている人間が1人いて、その人の視点を通して私たちが見ている、という構造を作りたかったんです。この作品に対して賛否両論あると思います。でも、この構造は、あくまで「ある人間が見ているものだよ」ということを意図しています。
Q: タイトルの“恋文”に込められた思いとは?
KC: 一言でいうと、“私から屠場で働く人へのラブレター”です。それと同時に“屠場で働く人から、愛する家族へのラブレター”という意味もあります。一方で、映画の中には差別そのもののような手紙も出てきます。それも含めて、手紙は声にならない思いの象徴でもあると思います。私は手紙が好きなので、それをキーワードにしました。
(採録・構成:三瓶容子)
インタビュアー:三瓶容子、永田佳奈子
写真撮影:宇野由希子/ビデオ撮影:西山鮎佳/2013-09-29 東京にて