東日本大震災復興支援上映プロジェクト「ともにある Cinema with Us」
呉乙峰(ウー・イフォン) 監督インタビュー
ドキュメンタリー、そしてその先へ
Q: 日本の東北地方は、東日本大震災で大きな被害を受けました。私自身も震災を経験し、震災以前とは価値観が大きく変わったと思います。監督の『生命(いのち)― 希望の贈り物』は、まるで現在の日本のようですし、これから日本が経験するであろうことだと感じました。監督にとって、台湾大震災の経験とはどのようなものでしたか?
WY: 台湾に、1960〜70年代に生まれた我々世代は、戦争を経験しておらず、80年代には台湾経済も発展したので、とても恵まれた世代です。私は、1987年の戒厳令解除の2年目あたりからドキュメンタリーの制作を始めました。約10年経った1999年に、台湾大地震がありました。それは、我々にとって初めて受けた大きな苦難であり、私たちドキュメンタリストに何ができるのかを、真剣に考えた出来事でした。「全景」の我々はすぐ被災地に赴き、約5年かけてドキュメンタリー作品を何本か制作しました。マスコミ関係者たちはすぐに被災地を離れてしまい、長期に渡り被災地を撮影したのは「全景」だけでした。台湾で映画が公開されたとき、大変多くの共感を呼び、興業的にも大きな成功を収めました。けれど、それと同時に私はうつ病を患ってしまいました。私自身も、被災地にカメラを向けることによって、心に大きな傷を負ってしまっていたのです。「全景」も資金の問題などもあり解散しました。メンバーはそれぞれの道を歩んでいます。私もうつ病の治療に1年半かかり、やっと回復しました。被災者でなくとも、寄り添っている自分たちも被災者と同様の傷を負っていました。カウンセリングをしてくれた医者が「もっと気楽に生きたほうがいい」とアドバイスをしてくれて、今は昔から好きだった少年野球のチームを結成し監督をしています。また、若いドキュメンタリストの育成や指導などに協力しています。
震災後、あなたの価値観が変わったというのは、とても理解できます。これだけ大きな震災に直面したら、誰でもそうなると思います。そこから様々な異なるものや、新たな考えが生まれてくるでしょう。それはとても重要なことだと思います。
Q: 監督は現在、ドキュメンタリー映画制作から距離を置いており、劇映画制作の準備をしているとのことですが、監督にとってのドキュメンタリーとはどのようなものですか?
WY: ドキュメンタリーとは、自分自身の記録です。外在するものではなく内在する己のこと、その時期における思考方法、考えを記録したものだと思います。監督自身が見た現実をどう捉え記録するか、それがドキュメンタリストの魂だと思います。いまはインターネットで誰でも社会について自分の発言ができますが、「全景」が始まった当時はそうではありませんでした。誰かが代弁する必要があったのです。それぞれの時代においてドキュメンタリー映画の役割があるわけで、以前はその比率が大きかったと思います。現在、劇映画の構想を練っていますが、それは台湾の多くの地域に赴いて感じたことがあり、その体験から得たものはドキュメンタリーでは表現しきれないものがあると思ったからです。その想いを劇映画で表現したいと思っています。今までのドキュメンタリー映画制作は積み重ねとしてとても必要なものであって、その経験をふまえて劇映画で表現する段階にきたということです。
(採録・構成:奥山心一朗)
インタビュアー:奥山心一朗、佐藤寛朗/通訳:樋口裕子
写真撮影:木室志穂/ビデオ撮影:遠藤奈緒/2011-10-09