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YIDFF 2011 回到一圏:日台ドキュメンタリーの12年後
舞台ハイウェイで泳ぐ
呉耀東(ウー・ヤオドン) 監督インタビュー

人生というのは、前に進んでいくもの


Q: 伝統芸能を守る人たちの、歌仔戯(コアヒ)という台湾歌劇への想いに感動しました。中国の京劇に似ているように感じましたが?

WY: 歌仔戯には100年ほどの歴史があります。中国の東南部の泉州・廈門(アモイ)から音楽や歌として伝わってきたものが、台湾の宜蘭(イーラン)で発展しました。最初の頃は、男性が労働の合間に弦楽器を使って歌い、そこにお芝居がついていきました。そして、専門に演じる人たちが現われ、舞台やお寺の縁日の小屋で演じたりして、だんだん劇団として発展していきました。

 テレビの無かった時代には、歌仔戯は一番の娯楽でした。その頃には、脚本があり劇場で演じられるまでに発展し、歌仔戯の役者は社会的な大スターでした。当時の歌仔戯のスターは女性です。最初は男だけだったものが、舞台にかかるようになり女性だけの劇団がつくられていったんです。

Q: なぜ、男性だけで演じられていた歌仔戯を女性が演じるようになったのですか?

WY: 商業演劇化と共に女性だけの劇団に発展していきました。推測ですが、ファンの多くが女性で、役者になりたい人も女性が多かったので、劇団の募集も女性を対象にすることが多かったからだと思います。

Q: 編集と撮影に3年かかったそうですが、どうして歌仔戯を取材しようと思われたのですか?

WY: 『ハイウェイで泳ぐ』以降、撮りたいと思う題材に巡りあいませんでした。そんな時、旅回りの女子歌劇団を見たのですが、その寂しい光景が強烈に印象に残りました。小屋がけでやる歌仔戯の劇団ですが、今の時代、テレビに押されて観客が減っていたのです。わたしは、彼女たちのジプシーのような旅から旅へという“漂白”の人生に惹かれました。

 最初、彷徨う流浪の人生に自分の人生を重ねて企画を考え、それを呉乙峰(ウー・イフォン)監督に話しました。彼も台湾での歌仔戯の存在は重要だと、この作品のプロデューサーになってくれました。たくさんある歌仔戯の劇団の資料を集め、調べました。そして、当初の流浪の劇団を追う企画からあの3劇団を選び、伝統的な歌仔戯を見つめようと思いました。

Q: 今まで監督は歌仔戯をどう見ていましたか? 取材されて見方が変わりましたか?

WY: 歌仔戯は祖母がテレビでよく見ていて、一緒に見たのが私の最初の歌仔戯体験です。都会に住んでいたので、縁日で歌仔戯を見る機会はなかったですが、当時のスターのことはよく覚えています。ただ、それは子どもの頃で、学生時代はまったく触れることがなかったです。

 今回資料をたくさん集め、調べましたが、その時に呉乙峰監督から、人間を撮るのだから、あまり歴史にこだわらなくてもいいとアドバイスを受けました。そこで、歌仔戯を演じる人たちの普段の生活を撮り、人生を考えるものにしました。取材しているうちに、彼女たちの姿に感動したので、それが映像に表現できればいいと思いました。

Q: 李静芳(リ・ジンファン)さんが歌劇のCDを出して賞を獲りますが、予想されていましたか?

WY: 驚きました。母親がどれだけ娘に期待しているのかを見たいと思って撮影したのですが、賞を獲ることは考えていませんでした。あの3劇団を通して、「人生というものは、前に進んでいくものなんだ」ということを描きたかったんです。

(採録・構成:楠瀬かおり)

インタビュアー:楠瀬かおり、田中美穂/通訳:樋口裕子
写真撮影:岩鼻通明/ビデオ撮影:大場真帆/2011-10-09