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YIDFF 2011 ニュー・ドックス・ジャパン
“私”を生きる
土井敏邦 監督インタビュー

社会問題を撮るのではなく、人の生き方を撮る


Q: この作品では教育現場の問題、それも国旗掲揚・国歌斉唱の強制という問題を扱っていますが、どのような経緯でこの問題にかかわるようになったのですか?

DT: 私は長年パレスティナを撮ってきましたが、翻って自国に目を向けると、日本社会に右傾化の波が押し寄せてきているように感じられました。そんな日本に不安と脅威と怒りを持ち、日本人のジャーナリストとして警告を発さなければと思ったのです。妻が教員ということもあり、教育現場の危機感はとりわけ強く感じていました。私は東京都教育委員会に対して不信感を抱いていますが、だからといって「日の丸・君が代」強制に反対するという映画を作ろうとは思っていません。そのような「運動」の映画に若い人は拒否反応を起こすからです。

Q: 3人の教師を取材したのはなぜですか?

DT: 取材した3人に共通するのは、それぞれの問題に立ち向かうというだけでなく、自分が自分らしく生きていこうとしている点でした。私自身、挫折の人生を歩んできて、自分の生き方に悩むことも多いなか、「君が代」斉唱に際し断固として起立しないという根津さんの姿は感動的なものでした。社会の流れに逆らってまで信念を貫くこの人の生き方を伝えなくてはいけない、そんな使命感から始まったのです。「君が代」のピアノ演奏を拒否する音楽教師の佐藤さんも、一見して柔和な雰囲気ながら、芯が強く決して倒れない柳のような人でした。ふたりの信念の強さが、題名にも採用した「私を生きたい」という同じ言葉を吐かせた要因だと思います。しかし、このふたりだけではどうしても「日の丸・君が代」反対運動の映画に傾いてしまう。そこで視点を変え、中間管理職である校長という立場の土肥さんを入れました。彼は教育の現場で職員の「表現の自由」が侵害されていることに危機感を抱き、処分を受けるリスクを冒してでも現職のうちに主張することが大切だと話していました。土肥さんの場合は、校長の権限で学校現場の撮影許可を出すことができたというのも非常にありがたかった。それができない根津さんと佐藤さんに関しては、ふたりが生徒と接する現場を撮れない分、過去の教え子への取材、教材や資料の撮影など教師としての姿を映す工夫が必要でした。

Q: 客観的な視点から制作した、ということでしょうか?

DT: 根底にあるのは、権力を持つ都教委に個人で立ち向かおうとする教員たちの生き方への感動を伝えたいという気持ちです。ただ弱者の怒りをぶつければ作品になるわけではありません。ジャーナリストとして多くの人に伝えるには冷静でなければということもありますが、彼らの怒りや悲しみを主張のための材料にするのではなく、それをただ素直に映せばいい、作者としての“私”は黒子のように観客に見えなくていい、そんな風に考えています。“私”の視点から問題を見せるより、観客を現場に立たせたい。ナレーションや音楽を入れないのも、そのためです。現場にそれらはありませんからね。

 私は社会派のドキュメンタリーを作って世の中を変えようなどとは考えていません。作品を通して自分の感動が人に伝わり、何かを感じてくれればそれでいいのです。他人の不幸を食い物にしていると言われることもありますが、その批判は自戒としてつねに頭の片隅におきながら、これからも撮り続けていこうと思っています。

(採録・構成:広瀬志織)

インタビュアー:広瀬志織
写真撮影:勝又枝理香/ビデオ撮影:加藤孝信/2011-09-22 東京にて