遠くも近くも見えない自分の眼は何を見ている
Q: この作品は、6作品のオムニバス作品ですが、制作過程を教えてください。
KI: はじめから、作品の順番が決まっていたわけではありません。決まっていたことは、10分以上20分以内の作品を作るということです。企画者である松本さんが、どのようなテーマをもってくるのか、すごく興味があったのですが、それを聞いた時、なるほど松本さんらしいなと思いました。松本さん自身、見るということにこだわり続けてきた方ですし、僕らもそうなのです。逆に言うと、何も自分のスタイルを変えることなく作れるな、とも思いました。ただ、企画を進める上で、僕が、松本さんやプロデューサーの佐野さんと、僕以外の5人の作家を繋ぐ役目を担っていたんです。なので、僕としては、その後どう転がっても心配ないようなものを作れば、皆自由に作れるだろうと思って、1本目に上映されることを意図して作りました。松本さんも、作品を観て理解してくれたようです。
Q: 冒頭で、視力検査のように文字を提示していますが、文字はどのように見せていたのですか?
KI: 大きさの違う文字を5種類ほど準備して、遠くから徐々に近寄りながら撮りました。人によって視力が違いますから。ただ、書かれた文字がバレちゃうと面白くないから、そこは慎重になりましたね。
Q: 松本俊夫さんの会話のシーンは、なぜ入れたのですか?
KI: はじめの打ち合わせの時に、何か使えそうな画があればと思って、小さなカメラを持っていきました。自問自答するというカットは、そこでの“見るということ”をなんと英訳するのかという質問に対する松本さんの返事なんです。それで、「あっ、ここいただき!」と思って。
Q: なぜ遮眼子を選んだのですか?
KI: 視力検査の時のような、一所懸命注視する人間の表情が、撮れるかなと思ったからです。僕は中学の頃から、人生の大半をコンタクトレンズ越しに見てきましたが、近づけさえすれば裸眼でも見ることができたわけです。しかし、最近になって老眼というものを知りました。近視の自分にとって、それはもう異様な体験なんですよ。遠くのものだけでなく、近くを見るためにも道具を必要とするなんて、「いったい俺の眼は何を見ているんだ! 何も見えてないんじゃないのか」と感じました。そもそもの作品の発想はその体験がきっかけです。
Q: 「冬の遮眼子」の中では、“見るということ”は、どういう意味を持っているのですか?
KI: 漠然と見るのではなく、注視することではないかと思います。それを表現するときに、見るということを描くためには、見えないことを描くのかなと思ったんですよね。それで、視力検査の時に眼を遮っている、あのしゃもじのようなものは何なのか、気になって知人に聞き、遮眼子というのだと知りました。遮眼子だなんてすごい言葉だと感じて、何度も使っているうちに愛着が湧いてきたんですよ。はじめのシーンは、まさに遮眼子で遮っていますよね。山の上の神社は、双眼鏡が被写体と眼の間に入って遮っているうえに、双眼鏡でも神社を見ることができない。他にも虫眼鏡、アイマスク、近眼の眼鏡で遮っています。つまり、見るということを描くために、ものを遮る何かを入れることで、見るということが露わになるかなという目論見があったんです。
(採録・構成:森藤里子)
インタビュアー:森藤里子、安彦晴江
写真撮影:千田浩子/ビデオ撮影:千田浩子/2009-09-18 山形にて