生きる上でのシカクノスキル
Q: “見るということ”というテーマにそっての映画作りでしたが、タイトルが「死角」となっている意味はなんですか?
OH: 今は情報時代だから、ネットなどで情報があふれていて、まるで自分が主体的にものを選んでいるような、そんなイメージが進んでいく社会だと思っているんです。でも僕はそうではないと思っていて、どんどん見る力も、分かる力も、判断する力も減ってきていると思うんですね。それはどうしてかというと、知らないことや見えないことに対して、私たちがどんどん無自覚になっているからなのです。だからこそ、日常における死角は分かりにくいけれど、映像は限定された視覚しかはいらないものなので、逆にその分かりにくいものを提示することができるんです。ただ、何を選ばないかの中で何を選んでいるかでもいいし、何を見ていないかの中で何を見るのかでもいいし、そういう生きていく上での視覚のスキルというものを、映像で実践するということはすごく難しいことでもある。僕がやりたいのは日常の視覚なんですが、その視覚の選択やスキルとの緊張関係を育むことが生きていく上で必要であり、かつ自分の死角とどうつきあっていくのかという問題もある。だからまずタイトルも含めて、死角というものの存在をクローズアップしました。ただ僕は死角というものをポジティブに考えていて、普通に言えば悪いと思われているものをどれだけ転じられるか、それがアートの力だと思っているんですね。また映画がこのようなスタイルをとったのは、前提として他の作家たちとのオムニバス作品ということがあるからなんです。よってこの作品が入ることで、なにか違う、風通しとなるような効果や作用になってくれたら嬉しいです。
Q: この映画における編集についてお聞きしたいのですが?
OH: 作品を10分にしようと思ったので、撮った順番に並べてある全カットの中から、その場でいくつかのカットを直感で選んでばらまいたんです。で、オリジナルではないほうの(繰り返しの)カットには音を入れなかったと思います。それは視覚と聴覚という意味において、まず単純に視覚情報だけということで。繰り返しという構造は明快だけど、たぶん見る人はかならずしも全カットを認識、把握はしないと思います。僕は映像を見ている人に、普段使わない視覚に関しての刺激を、説明的ではなく感覚的にもよおさせたかったんです。今までいろいろなタイプの編集をやってきましたが、物理的に同じカットが2回来るなんてことは初めてです。僕はノー編集といって、ひとつひとつのカットを大事にするほうなので、僕の今までの映画を見ている人はビックリしていましたね。
Q: 白い柱に線を描くショットやピアノを弾くショットは、他の部分に比べて能動的であると感じました。
OH: 実はあれは、僕が参加した展覧会で映像を展示しているんです。だから僕としては、撮影行為自体が一種のその場でのパフォーマンスでもある訳です。線を描いたりピアノを弾いたり、というパフォーマティブなショットと、(上記の)繰り返しという非常にパーソナルで視覚的なショットのふたつを混ぜることで、出てくるものがあるかなと思ってやったんです。でもそれはこの映画だけでなく、僕の普段の基本的なことなんですよね。
(採録・構成:保住真紀)
インタビュアー:保住真紀、一柳沙由理
写真撮影:一柳沙由理/ビデオ撮影:加藤孝信/2009-09-14 東京にて