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YIDFF 2009 YIDFFネットワーク企画上映
湯の里ひじおり ― 学校のある最後の1年
渡辺智史 監督インタビュー

肘折には何かある、そう感じたんです


Q: この作品には、私には見たことのないような世界が広がっていました。分業制とも言えるような地域システムは、現代の観光地には中々見られない光景だと思うし、学校行事に地域ぐるみで参加しているシーンなどからは村の一体感が伝わってきました。肘折は小さな村、なのにどことなく大きな存在感がある、そんなところに私は魅力を感じました。監督は、どういった理由で肘折地区を題材に選んだのですか?

WS: 私は、鶴岡出身で月山のふもとで育ったんです。そのために、幼少から霊山としての月山に興味を持っていました。そして今回、その月山を追及していきたいという動機から、肘折に注目するに至りました。なぜ肘折か?と言うと、肘折は、月山への登山口のひとつで湯治場としても有名な土地です。一方、カルデラにある村であり、山に囲まれ、過疎化が進んでいます。そんな山間にある小さな村に何度も訪れる湯治客の姿が、私には修験者と被って見えたんです。もしかしたら、(言い表せないような)何かがあるのでは?と直感的に思いました。

Q: 作中で、学校は1年の経過を表すような、時間的な役割を担っているように見えました。その時間の経過に伴った人々の変化を、監督はどう捉えましたか?

WS: 作品中に“若い衆が帰ってくる”とありましたが、実は過疎地だから職がなく、家業がない人は帰ってきづらいんです。また、帰ってきても、都会を忘れられない人もいる。でも、彼らはブラスバンドを行うことで、(彼らが)持っていたモヤモヤ感は少しずつ晴れていって、閉校式の時には一種の絆が生まれていました。その絆は村民たちにも広がり、学校は“地域にある大切な学校だった”という印象が強くなっていくのを感じました。

Q: 若い衆も大切な役割を担っていましたが、過疎化という現実もあって、出演者の大半はご年配の方でした。また、鑑賞者もご年配の方が多かったようですが……。

WS: そうですね。年配の方が多く、(鑑賞者には)大体60代の方が多いですね。しかし、私はご年配の方にも大きな魅力があると思っています。私は、山形をテーマに“いま”をとらえていきたいんです。その上で、(年配の方々は)重要なファクターだと思います。また、上映を通じて、観客とコミュニケーションを取って次回作に活かすということは、私にとって(映画制作の)醍醐味のひとつなんです。勿論、高校生なんかがどんなリアクションをしてくれるか、ということも楽しみのひとつなんですが。

Q: 監督が以前、映像を担当された『映画の都 ふたたび』(2007)と、今回の映画表現が異なっていますよね?

WS: それには映像の担当として参加しましたが、今回は、監督として関わった作品ですので。特に、今回は、編集に鍋島さんという素晴らしい方が入ってくれました。それに、チームのメンバーのひとりが異なるだけでも、作品は姿を変えるんです。

Q:「姿を変える」ということは、完成した作品が監督の思い描いていたものと少し違っていたということですか?

WS: そうですね。鍋島さんがバンバンいろいろなシーンをカットするんですよ。「ここは、このおばあちゃんのこのセリフ!」とか、自分の中で使ってみたいシーンがいくつもあったのに、カットされていくのはさみしかった……。でも、作品の形ができた時、「ああ、肘折ってこういうことだったんだ」と思うことができたんです。まだ言葉には表現しきれないけど、作品では、感情に訴えるような“肘折”をある程度表現できたと思っています。

(採録・構成:野村征宏)

インタビュアー:野村征宏、武田優希
写真撮影:武田優希/ビデオ撮影:野村征宏/2009-08-29 鶴岡にて