飯塚俊男 監督インタビュー
映画祭を支える共同性はどこへ向かうのか
Q: 今回の『映画の都 ふたたび』での監督の視点は?
IT: 僕は、第1回山形映画祭の時にYIDFFネットワークが見せたような、映画や映画祭を通して生まれてくる人間の関係の在り方が、非常に大切だと思っていました。今回から映画祭がNPO法人になり、ネットワークの人たちを中心とした事務局が、事務方と企画面の両方を担っていかなくてはならないという苦しみのなかで、共同性を作ることがなかなかうまくいかない。そんな中、市、役員の人たち、事務局の関係は、現実にはもっといろいろあり、対立する部分もないとは言えないでしょうけれど、それを描くことは僕にとって主要なテーマではなかった。事務局を担っているネットワークの共同性がどこへ向かっていくのか、そこが一番見たかったんです。
Q: 『映画の都』(1991)にも、今回の『映画の都 ふたたび』にも、第1回映画祭のジョン・ジョスト監督のインタビューシーンがありました。
IT: 第1回映画祭のインタビューで、僕が一番印象に残っていたのは、ジョン・ジョスト監督の共同性の話でした。日本にはコミュニティがある、アメリカにもかつてはあったが、今は自分だけ良ければいいという文化になってしまったと。彼は山形に来て、日本の集団の在り方を映画祭を通して見て、そう感じてくれた。
そのような、第1回の映画祭を支えたネットワークの共同性が、どこから生まれたのかという点に、今回一緒に組んだ26歳の渡辺智史が非常に関心を持ちました。僕は小川プロで助監督をしていて、牧野村に15年くらい滞在して撮っていましたし、そのあたりは自分にとっては当たり前の世界に感じていましたが、渡辺は経験していないだけに探究心がありました。若いスタッフと組んだことによって、映画センターや『1000年刻みの日時計 ― 牧野村物語』の上映活動など、非常におもしろい要素が出せたかなと思います。
Q: 観客の反応はどうでしたか?
IT: (今回の映画祭での2回の上映を通して)本当にいろんな反応がありました。映画祭の人に頑張ってほしいという気持ちになったとか、映画祭はどうなるのだろうとか、そんなところまで撮っていいのかなど。いろんな反響に僕だって一喜一憂するので、渡辺はすごい上がったり下がったりだと思います。
Q: 今後についてはどうお考えですか?
IT: まず東京での試写会を考えています。それから、配給の仕方がどういう形が良いのか考えていきたいと思います。とにかくは作ることに専念していましたから。
僕はここまで描かせてもらった以上、相当責任があるなと思います。山形県内にも映画祭を心配する人たちがたくさんいますし、できるだけ僕も、映画祭が継続できるように、映画祭を囲むコミュニティに協力していきたいと思っています。それと、自分の映画作りでは、今回『ふたたび』を撮って自分がどこから出てきたかを見つめたので、もう一度、滞在して村や地域を見つめる映画の作り方ができないかと考えています。この時代に村を撮って何が映るんだという問題もあるし、資金やいろんな面で簡単ではないのですが、牧野村でやったようなことを、現代の日本の社会で、自然と人間と共同体と生産と暮らしみたいなものを撮ってみたいなという気はあります。
(採録・構成:山本昭子)
インタビュアー:山本昭子、高田あゆみ
写真撮影:楠瀬かおり/ビデオ撮影:楠瀬かおり/2007-10-10