藤原敏史 監督インタビュー
映画の中に込めるもの
Q: 今回の作品で米軍基地という社会的問題を取り上げていますが、多くの住民のお年寄りと監督との会話が、印象的でした。地域住民という身近な人々の視点を多く取り入れていますよね。実際撮影を行う上で、どのようなことを考えながら、人々にインタビューしようと考えたのですか?
FT: 普通の政治告発ドキュメンタリーなら、もっと露骨に批判的なことを話す人を探すのだろうけれど、今はそうするのではなく、こういった歴史を持ちながら、われわれ日本人はどのような民族なのだろうと考え、記録していくことのほうが大切なことだと考えています。また、最近デジタルビデオで撮れるようになると、ドキュメンタリーはすごく個人化してきています。そうすると、自分の身近な人を撮り続けるだけになる傾向があります。そうすることによって、作品の視野がとても狭くなってしまうのです。できるかぎり、視野が狭くならないように気をつけていました。
Q: 作品を、1部と2部のふたつに分けたのはなぜですか?
FT: 第1部は主に戦前の話で、第2部は戦後の米軍が来てからの話です。しかし、必ずしも池子基地固有の問題の映画を作ろうとしたわけではありません。日本全体の近代の縮図として映画を作っていこうとすると、重要な日付というのがあります。それはやはり、1945年8月15日という日付なのです。ところが、その部分についてはほとんど語られないのです。ある意味、日本近代史のブラックホールであるその日付が、映画の折り返し地点にもなる。その、なにも写っていない空白にこそ、ある種映画の中心となるものがあるのです。
Q: 米軍基地という問題を取り上げながらも、お年寄りが住んでいる家のことや、環境のことなど、多くのテーマにつながっている作品ですね。観客には、どのようにこの作品を見てもらいたいですか?
FT: この映画のテーマは、見る人々に考えてもらえばいいと思っています。しかし、僕自身が考えているテーマというのは、やはり「日本人とは何者なのか?」ということだと思います。戦争中、日本は「日本を守る」ということで戦争していたわけだけれども、そこで破壊したものというのは、実は日本のある種もっとも理想的な、日本の故郷のようなものだったのです。戦争をすることで、それらすべてを奪ってしまったと言えます。このような、かつて戦争が始まる前にあったような「日本人らしさ」のようなものは今更ないですし、求めても仕方のないことだと思っています。しかし、それがあったということは考えなければならないことなのです。
「映画」というものに関わっている以上、映画を作るということは一方でフィクションであろうがドキュメンタリーであろうが、そこで語られる物語や、そこに映し出される人間に対して、責任を持たなければなりません。と同時に、「映画」という表現とは何なのかということについて、考えなければならないと思っています。作品の受け取り方は、多様であってかまわないと思っていますが、多様な受け取り方をできるだけの、映画としての形をきちんと与えることが、我々の一番大きな仕事だと思っています。
(採録・構成:飯田有佳子)
インタビュアー:飯田有佳子、鈴木大樹
写真撮影:加藤孝信/ビデオ撮影:加藤孝信、鈴木大樹/2009-09-14 東京にて