東美恵子 監督インタビュー
カメラの後ろにいる私の存在を出したかった
Q: いつ頃から、ユリさんとおっちゃんのことを、映画に撮ろうと思われたんですか?
AM: ユリが、おっちゃんに出会ってすぐですね。ふたりが恋に落ちて、つきあうということになって、じゃあ、私がドキュメンタリーを撮ろうということを伝えてはじまった。なんか、自然に流れていったんです。撮るために私は、その場にいたんじゃないかというくらい、運命的な感覚でした。
Q: この映画はきれいだけれど、ちょっと切ないなと思ったんですね。どのような視線でふたりを見つめていたのかなと、気になったんですけれど。
AM: どのような視線……。そうですね、今日映画館で言われたのが、『ナオキ』っていう映画は、監督がどんどんとはいっていって、ふたりを動かすというか、監督が動くっていう映画で、すごくおもしろいなと、そのスタンスが。私は自分でそこまで行動してということはしなくて、なるべく見つめようという姿勢だったんです。それでも、絶えずカメラを廻すのが怖いという思いはありました。そこの場所、空間を壊してしまうし、ふたりの関係性も、カメラを廻すことによって変わってきちゃうじゃないですか。その恐怖というのがいつもありました。私がいることによって、カメラがあることによって、どれだけ影響力があるんだろうと……。カメラって怖いなあという感覚をいつも持っていました。
Q: この作品の場合は東監督が、自分の気持ちというか心を記録しようという、そういう映画なのかなと思ったんですけれど。
AM: そうですよね、「ふたりを記録しよう」という感覚はなくて、観察とか記録という感覚ではなくて、自分を通して見たふたりのドキュメンタリーというのが、この作品を作るうえで、大きな軸となったものでした。「私を入れよう」というのが……。ふたりだけを観察するんじゃなくて、「私の見たふたり」っていう作品を作ろう。そしてカメラの後ろにいる私の存在を、いつも出したいと思ったんです。3人の関係性を出した、3人のドキュメンタリーを作ろうと。
Q: ユリさんは、この作品をご覧になったんですか?
AM: ユリもおっちゃんも、山形に来ています。山形で一緒に見ました。彼らにとっては、映画として見るというよりも、思い出なんですよね。シーンひとつひとつが記憶で、まとめてひとつの映画として見るんじゃなく「ああ、ああだったね、こうだったね」という記憶として見ている。普通の観客じゃなく本人ですから違うんだなと。視点が違うということを、私はおもしろいなと感じました。
(採録・構成:三浦規成)
インタビュアー:三浦規成、一柳沙由理
写真撮影:保住真紀/ビデオ撮影:伊藤歩/2009-10-11