アニルバン・ダッタ 監督インタビュー
記憶が消え去っていく過程を撮りたかった
Q: 『Chronicie of an Amnesiac(忘却者の記憶)』という原題名は、とても印象的ですね。急激に変化している故郷コルカタ(カルカッタ)への、想いをうかがえますか?
AD: この作品は、タイトルが先に浮かんで撮影しました。元々コルカタは、大都市なのに生活のペースが、穏やかでゆったりした街でした。しかし、この30年で大きく発展しました。昔はベンガル風の建物が並び、その後イギリスの植民者が造った建物が建ち、更にアールヌーボー、アールデコの時代があり、今は高層ビルが並んでいます。目に見える風景は変わり続けていますが、人々の魂や心は変わらず、ずっと共通しているものがあると思いました。だから、変わっていく風景より、変わらない人の魂や心に関するものが、都市に堆積していることを映像化したいと考えました。
時間の経過というものが、都市の中で以前に流行していたものを、廃らせていきます。今回はその象徴として、モンキーマン(猿まわし)を使いました。数十年前には、流行したエンターテイメントですが、今は違法で禁止されています。しかし、彼らにとっては職業なので辞められず、住む所も街の外れに追いやられました。他の動物使いの人たちも同様です。また、映画の中の92歳の老人も、インドの独立戦争では闘士でしたが、今は仕事を探さないと暮らせません。彼らも、時間の中で忘れ去られていく一例です。ひとりの記憶が失われてしまうのと、都市の記憶が失われていくという、ふたつの“忘却”が進んでいます。それで、最後の場面ではショッピングモールでモンキーマンを歩かせました。現在のエンターテイメントを供給する場所へ、モンキーマンを置いて見せたかったんです。
記録をする作業は現在していることですが、現在の中で過去を記録するには、どうしたらいいのか考えました。そして、壁の手触りや物の匂いなどが、都市の過去を秘めているのではないか、それを撮影したいと思いました。この映画でやりたかったことは、忘れてはいけない事象・物事を記録することでしたが、もうひとつは、その記憶が消え去っていく過程を撮影したいということでした。つまり、「記憶を撮ること」と「忘却を記録すること」の、ふたつを撮りたかったんです。そのふたつを、最後に映像を反転させているシーンで表現しました。
Q: アミヨ・ダ老人は、とてもいいキャラクターですね。
AD: 彼は、撮影の時に自身の生家を案内してくれました。そこで家の階段を彼が降りて立ち去る場面がありますが、撮影時に、カメラ担当の私の兄が途中でカメラを止めたので、彼の死を予見してるような画になりました。実際に撮影の2カ月後に亡くなったので、彼の生まれた場所と最期の姿を撮影したことは、感慨深いです。
Q: この映画では“音”に関して苦労されたそうですが?
AD: たとえば、今は少なくなった蒸気機関車の音を使うとか。古いドアがギシギシ鳴りながら閉まる音も、歴史を伝える音ですよね。現在流れている音でも、過去を表すことが可能だと思うものを、意識して使いました。
(採録・構成:楠瀬かおり)
インタビュアー:楠瀬かおり、鈴木大樹/通訳:井上間従文
写真撮影:鶴岡由貴/ビデオ撮影:佐藤寛朗/2009-10-11