吉増剛造 氏インタビュー
光の繊維のメディアが、山形という場で、深い繭のように
Q: 山形映画祭に参加されるのは初めてだったということですが、審査員を引き受けられるにあたって、どのような思いがありましたか?
YG: まず、山形で行なわれている国際ドキュメンタリー映画祭というものに対する、自分なりの深い思い入れがありました。僕自身、詩を書いていて、詩人たちとの接触や、東北・北海道の朗唱運動などを通して、牧野村の木村迪夫さんと密接な繋がりがありました。小川紳介さんとも、朗唱運動が始まる前あたりから接触していました。『ニッポン国古屋敷村』も観ていたし、『1000年刻みの日時計 ― 牧野村物語』を観る会を、自分たちで作って上映したりもしていました。また、『1000年刻み……』に出ている土方巽さんの後をたどって、その東北性を追いかけるなど、そういったことを、山形を中心にしてかなりの時間をかけてやりました。
それと同時に、映画祭の方々が僕を呼ぼうとしたときに、意図というか、波というか、そういうものがあるわけですよね。それが、さっとこちらにも感じられるわけです。沖縄に行って、島尾ミホさんやアレクサンドル・ソクーロフさんと一緒に映画を作ったり、ジョナス・メカスさんを山形へ連れてきたり、また自分でも、映画を撮りだしたようなことがある。そうした脈動みたいなものを、お医者さんみたいにして読んでらっしゃるな、ということがこちらにも分かるわけです。そこで、先ほど申しあげたような思い入れの部分も増幅されるわけです。とにかく、そういうレシーバーというかな、受像機になって、山形に出かけて行った、という状態でした。
Q: 選考会では、かなり長い時間議論がなされたそうですが、審査をなさった上でのご感想は?
YG: 午前10時頃から4本近く観る、うっかりすると昼食を食べ損ねるようなスケジュールの中で、大きくて見事な映画館に入っていく楽しみというかな、普通の映画館体験ではない、なるほど映画祭でなければ経験できないような、そうした大きな映画館に、足を弾ませながら通いました。
国もテーマも違うそれぞれの作品に、深い感銘を受けながら観せていただきました。これらは、選考したり比べたりすることが、本当はできない類のものだろうと思うんですが、お役目だからその頭で観ていますと、ある程度の評価の頭ができてきて、それを壊す段階として、選考会があるんですよね。自分で考えていたことが、単純に誰かが、あれはダメだ、と言うことで壊されるのではなくて、私のような受像機が捉えたものが、もうひとつの光によって変わってくる、そうしたフィルターみたいなもの、中間の何か光のようなものとして選考会がありました。だから楽しんだし、勉強にもなりました。
選考はひとつひとつの作品ごとに、丁寧に議論しましたので長時間になりましたが、最後まで選考会の空気それ自体、とても真剣で油断のならないものでした。それが結果にどのくらい反映しているのか、客観的にはまだ分かりませんが、選考会そのものの密度と質の高さというのは類例のないものだろう、という感想はあります。
Q: 山形映画祭には、どのような印象をお持ちになりましたか?
YG: 映画祭というと、もう少しコンパクトにまとめられた、においのしない、糸が乱れたような感じがしないようなもののほうが多いんでしょうが、この山形国際ドキュメンタリー映画祭は、不思議に、柔らかい、太い、いろいろな糸によって紡がれているような、動いているような感じなんですね。また山形というと、芭蕉さんが『おくのほそ道』で通行した、ものすごく大事なラインがたくさんあるわけですよ。尾花沢で山寺という聖地があると聞いて、山形の方に戻り山寺へはいったのは、本当は予定外の行動だった。それから最上川を下って酒田へ行ってという……、山形が心臓部なんですよ。だから山形にはね、そういう……、もっと深いところがあるかもしれないけど、そうした空気があって、僕もそれと共に動いていました。選考会が終わってから、チェコの審査員のヴァヘックさんに山寺に連れていかれ、そこで、制作中の映画の被写体になるという経験をしたりしもました。そうした挿し木というかな……、木が普通に伸びていくのではなくて、途中で挿し木をすると何か違うものが伸びてきて、そこから別のものができてきたりする。そういう知恵が、山形の国際映画祭には深いところからもあると思います。
僕は単純に作品の評価や、印象というところから、映画祭を捉えるのではなくて、もう少し大きな、空気や土の匂いや山の声などのオーラと一体になって、この映画祭を掴まえようとしています。小川さんの映画に出てくる「シロミナミ」のような風を、映画祭の中で感じていました。この映画祭は、それを動脈か静脈のような形にして持っていると思います。今年はなかったように感じますが、『ニッポン国古屋敷村』の現代版のような、それらを感じ取るような映像作品が出てきたら、理想的なフェスティバルになると思います。
また、ソクーロフさんが奄美で撮った『ドルチェ ― 優しく』を観せていただきましたが、山形で観た『ドルチェ ― 優しく』は、素晴らしい輝きを持っていたなぁ……。しばらく経つと、ある経験とともに、今年の受賞作や出品作にもそういうオーラが出てくるかもしれません。経験とともに熟成されていって名作になるものがあるじゃないですか。そういうものに山形で出会いましたね。とても嬉しかった。
Q: 最後になりますが、これからの山形映画祭について何かお考えはありますか?
YG: 我々も、たとえばプラハで映画祭があるとしたら、少しはカフカのことなんかを読んでいきますでしょ? それと同じように、山形に来る人たちはみんな、その敬意とともに芭蕉さんやらを読んできているんですよね。皆さん、自分の中にそのような光を横溢させて来ていますよ。山形という地が持つエネルギーのようなもの、それは山形映画祭自体が既に内包しているから、それをこの映画祭が持っている非常なきめの細かさで、いろんなふうに解きほぐしていくと、映画という光の繊維のメディアが、山形という場で、深く幾重にも重なって繭みたいになっていくと思いますね。
(採録・構成:石川宗孝)
インタビュアー:石川宗孝、保住真紀
写真撮影:佐々木智子/ビデオ撮影:馬渕愛/2009-12-01 東京にて