イェンス・シャンツェ 監督インタビュー
祖父も同じ、人間だった
Q: そもそも家族にカメラを向けようと思ったきっかけは?
JS: フランスの友人から「なぜドイツでは当時、国家社会主義がはびこり、それが国全体に浸透してしまったのか」という質問を受けました。その当時、ドイツ全体がそういった思想に洗脳され、巻き込まれてしまったわけですが、私はその答えを出すことができなかった。それはどうしてなのか。その当時というのは私の祖父母の時代でした。当時彼らは何を思い、どんな意見を持っていたのか考えた時に、実は私は何も知らない。祖父母は私たちに何も伝えないまま亡くなってしまったんです。その答えを見つけなければならない、というのが最初の動機でした。さらに、調べていくうちに戦後ドイツ人は、過去へのトラウマから沈黙してしまい、多くのドイツ人家庭では、過去の世代からの情報が今の世代にしっかりとした形で伝わっていない、もしくは歪曲した形でしか伝わっていないということがわかりました。そんな折、母が70歳になり、自分の中で過去を見つめ直そうという気持ちになってくれたんです。
Q: 家族の反応は? また、監督自身、祖父の過去に対峙することへの恐れはありましたか?
JS: この作品を作るにあたって、両親と4人の姉たちに協力を求めましたが、姉たちは懐疑的でした。母がそういった過去に向き合うのに途中で耐えられなくなり、放棄してしまうのではないか、と。もちろん私自身にもそうした恐れはありました。しかし、作業に取りかかってみて、ひとつの確信が生まれてきたんです。家族と対話をする上で「正しい対話」をすれば、何も怖がることはないということです。つまり、母がこれまで沈黙を保ってきたことに対して責めない、そして、祖父についても責めないということです。祖父は罪を犯したかもしれない。けれどもその罪を犯したということを絶対に責めることはしない、ということを心に誓いました。
Q: 撮影後、監督自身に心境の変化はありましたか?
JS: この映画を撮っていてたどり着いた結論は、祖父はまったく普通の人間で、私と同じ人間であった、ということです。同じ人間であるから物事を愛することもあれば、軽蔑したりばかにしたり、壊したくなることもある。そして祖父はその当時国家社会主義を支持してしまった。しかし、そういったふたつの要素を、私は持っている、私も持っている、と。
(採録・構成:奥山奏子)
インタビュアー:奥山奏子、清水快/通訳:今井功
写真撮影:鈴木隆/ビデオ撮影:高橋愛実/2007-10-05