リン・リー 監督、ジェームス・ロン 監督 インタビュー
悲劇の裏側にある子どもたちの元気さ
Q: アキ・ラーの地雷博物館にいる少年たちに出会った経緯を教えてください。また少年たちの中からボレア君に焦点をあてて撮ったのはなぜですか?
リン・リー(LL): カンボジアに、TVドキュメンタリーを作るために行っていた時、フリータイムに行った地雷博物館で、当時10歳のボレア君に出会いました。片腕がないけど難しい踊りを巧みに踊っていて、とても明るく元気な姿が印象的で、そんな彼に私はとても興味を持ちました。彼は博物館にいた少年たちの中でも一番のいたずらっ子で、とても生き生きしていたので選びました。彼は学校をさぼったりもしていて本当に目立っていましたね。
Q: ドキュメンタリー映画に取り上げやすい“戦争”という時代背景があったにもかかわらず、戦争ではなく子どもたちに焦点をあてていますね。
LL: そうですね……戦争というのはだいたい皆悲劇だということを知っていますし、取り上げるにもいいのですね。でも彼は腕をなくしているけれど、そう感じさせないくらい明るく元気で、サッカーが好きで歌が好きで、普通の少年たちと何も変わらない。実際の彼の状況にもかかわらず、落ち込んでいるところを全然見せない……戦争や地雷の悲劇があっても、子どもたちは元気だというところに、とても力強さを感じました。悲劇の裏側に子どもたちの元気さがある、というところをメインにすることで、“小さい子たちの目を通して見た戦争”というものを描きたかったのです。
たとえば、香港やシンガポール、日本など今戦争のない場所でも、子どもたちって何らかの辛いプレッシャーにあっていますよね? 学校とか試験とか様々な要因があると思います。ボレア君たちは、腕がないことを辛いなぁと思っていても、それを乗り越えて明るく元気に暮らしています。この映画では、そういうところを見てほしかったというのもあります。
ジェームス・ロン(JL): 彼らは、地雷で腕をなくしたり足をなくしたりする状況に遭っても、人生を信じて明るく一所懸命に生きている……そういうところに私たちは元気づけられました。
Q: 急に地雷によって目が見えなくなってしまった人たちの、アップが映ったシーンがありましたね。
JL: 銃の効果音とともに、手足を失った人たちの映像が映し出されるシーンは、子どもたちの明るい姿と戦争の悲劇のリアルな面を、対比させるために出しました。
Q: ボレア君の無邪気に遊んで生き生きした姿と、母親に甘えて叱られている時の姿の差に、私はおもしろく子どもらしい可愛らしさを感じたのですが、このふたつの姿を映画に取り入れた意図は?
JL: 彼は頻繁に家に帰れるわけでもないので、意図的に考えて映したということではありません。ボレア君は腕がない状況にあるけれども、ちゃんと学校にも通えていて家族の中では一番幸せな人間で、他の家族は彼に対していろんな期待をしています。母親は、ボレア君にたくさん勉強してほしいと期待していますね。そんな期待を背負った彼は、子どもだけれども早く大人にならないといけないし、責任も持たなければならない。とても子どもらしい純粋な姿の中に早く大人にならなければいけないんだという思いの影があり、矛盾したようにみえるボレア君の姿はとても興味深いと思い、映画に取り入れました。
(採録・構成:佐々木陽子)
インタビュアー:佐々木陽子、今野綾香/通訳:斉藤新子
写真撮影:高橋愛実、海藤芳正/ビデオ撮影:高橋愛実/2007-10-09