黄文海(ホァン・ウェンハイ) 監督インタビュー
他人を撮っている気がしなかった
Q: 4人のアーティストとの出会いのきっかけは、何だったんですか?
HW: 私の第1作の劇映画『北京郊区』の編集の時に出会った李娃克(リ・ワーコォ)と、2004年のある映画祭で再会した時、彼は芸術家の友人が映画を撮るのを手伝いに行くのだが、私に技術顧問をしてくれないかともちかけてきたんです。それで、私は中国の河南省のある都市に彼と行き、約1カ月間、そこでいろんな芸術家に会って撮影をしました。
Q: 最終的にこの4人に絞った理由は?
HW: この4人がお互いの関係性が最も密接で、非常に強く結びついていたからです。編集の段階ではたくさんのアーティストの素材がありましたが、私はこの4人の中にある共通性を見いだしました。まず、画家の王永平(ワン・ヨンピン)の映画の撮影を李が手伝いにくる。現在は教師をしている丁徳福(ディン・ドォフー)は画家で、85年ニューウェーブの時に、非常にもてはやされたアーティストでした。しかし、ニューウェーブが終わった後、彼は個人的な理由や社会的な要因から、アートの中心から片隅に追いやられてしまった。若い詩人の貝貝(ベイベイ)は、丁自身が85年当時に持っていたアートに対する情熱をちょうど抱えている年代で、丁の映し鏡であるかのようです。李の存在はまるで浮遊しているような感じがする。そういう彼らの社会における不可思議な状況に、私は注目しました。
中国において80年代はアーティストたちにとって非常に自由な時代で、彼らは制作を通して社会の改革や解放に参加している雰囲気がありました。しかし89年を契機として、彼らは自分たちで表現して自分たちだけで楽しむ方向にアートを転換し、社会の断絶が生じました。つまり私自身の中国のインテリ層への見方や考えを彼らが体現しているように思えたのです。
Q: なぜモノクロにしたのですか?
HW: プールで泳いでいる場面の編集で、色をモノクロまで調節したら、その雰囲気が地獄の冥河のような雰囲気がでて、とても良いと思ったので、そこからモノクロにしていくことにしたわけです。
Q: この作品は「混沌三部曲」の第2作目ということですが?
HW: 1作目の『喧嘩的塵土』の主題は、中国の市井に生きる人たちでした。2作目である本作品『夢遊』ではインテリ層を撮っていますが、3作目は2部構成で宗教と政治に関わるテーマで撮りました。
Q: 「混沌三部曲」の3作を通してなぜ人々にカメラを向けるのですか?
HW: 私は作品を通して、時代に対する自分の認識をしっかりと表現したいと思います。するとやはり、人間を撮るということが一番重要なわけです。あらゆる国で体制がいくら変わっていても、人間性というのは変わらないものだと思います。人々は、私の作品に出てくるアーティストのように絶望したり、不条理を嘆いたりするし、それはまたどこの国の人にもわかってもらえる。そういう人々はどこの場にもいるということです。私はこれまで、他の人を撮っている気はしなかった。撮る対象を見ていても、自分自身を見つめている気がしていました。だから人間を見つめ、そして自分自身を見つめているのです。
(採録・構成:山本昭子)
インタビュアー:山本昭子、園部真実子/通訳:樋口裕子
写真撮影:園部真実子/ビデオ撮影:清水快/2007-10-05