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YIDFF 2007 インターナショナル・コンペティション
アレンテージョ、めぐりあい
ピエール=マリー・グレ 監督インタビュー

映画により蘇る記憶


Q: 詩、歌、風景などで幻想的とも言えるアプローチをとっていますが……。

PMG: 詩を詠んでいる人たちは雇い主の下でその土地に縛られて働かざるをえない貧しい人々です。しかし彼らの生活はアレンテージョの大地に強く結びついていて、自分たちの持ち物でもないその土地に大変深い愛情を抱いているのです。だから彼らの詩を紹介すると同時に、作品を育んだ土地を見せたかったのです。映像の美しさは、カメラの向こう側にいる人々が作り上げたものなのです。

Q: 撮影にはどの位の時間がかかりましたか?

PMG: 全体は長い期間撮影していたわけではなく、詩や映画の場面とかそれぞれ別々に撮ったものをまとめました。それに対して準備期間は大変長く、前作が終わってから本作の準備期間に入ったので、ほぼ2、3年かかりました。映画を撮ることなしにヴィルジニアのところへ通い、話を聞くということをずっとやっていました。彼女は前作にも登場していたので、それから数えると10年程のつきあいです。だから映画の構想もかなり前から積み重なってできたのです。

 さらに編集にも通常よりはるかに時間をかけました。この映画では写されているもの同士の間で韻を踏むように編集するという実験的な試みを行いました。たとえば麦畑と海が韻を踏むように、音楽的な響き合いが起きるような形で映像を繋ぎました。

 撮影ではパウロ・ローシャの映画の場面を撮るために、まず住んでいた人々を探し出し、村に映画館が無かったので上映環境を準備しました。映画が始まれば私が演出することは出来ません。そこには自然に、まさに奇跡のような瞬間が次々と起こったのです。

 もうひとつの奇跡は、ヴィルジニアをミシェル・ジャコメッティの出身地コルシカに連れて行った時に起こりました。彼女がコルシカで村の人に詩を聞かせると、これに村人が伴奏を付けました。彼が素晴らしい音楽家だということは知っていましたが、彼女が歌い、彼が伴奏を付けたことは自然に起きたことなのです。この実に素晴らしいシーンは、ワンテイクで一度きりで撮られました。また私は彼女がコルシカを去る時に詠んだ詩のことも事前にはまったく知らなかったのです。すべて大きな準備作業の後に生まれた真実の即興だったと言えるでしょう。

Q: 最初と最後の路を移動する夢のようなシーンにはどのような意図がありますか?

PMG: 観客が不思議な魔法の世界を発見するように、最初にゆっくりと坂をのぼると、道に従って世界が広がり、ヴィルジニアの詩がかぶさるという構成にしました。

 最後の場面は私も大好きなシーンです。この場面は最初のシーンの鏡に映ったような反映であってはならないと考えました。道が蛇行しているので、遠くに見える丘が見えなくなり、また見える瞬間があります。去っていく哀しさがある一方で、道を曲がるとまた同じところに戻ったような不思議な感覚になります。決してこれでおしまいだという意味ではないのです。またこの場面では、音についても非常に工夫しました。たとえば詩と音楽が別々に出てきたものを重ねたり、順番を変えるなど、違う形で出すようにしました。

 この映画は記憶についての映画です。最後の場面でこの映画自身の記憶が蘇ってくるような瞬間を作り上げたつもりです。

(採録・構成:横山沙羅)

インタビュアー:横山沙羅、久保田桂子/通訳:阿部宏慈
写真撮影:鈴木隆/ビデオ撮影:高田あゆみ/2007-10-05