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YIDFF 2005 私映画から見えるもの スイスと日本の一人称ドキュメンタリー
パリッシュ家
ヤェール・パリッシュ 監督インタビュー

倫理的な境界線を経験すること


Q: 物語は父との再会から始まりますが、父親像とは?

YP: イメージできない。どんな状況のもとでも子どもを第一に考える、責任感のある人が父親ではないでしょうか。映画での私と父との関係は、少し違っていて、映画を撮るにあたって、父親というよりもひとりの人間として対面しようと思いました。私たちの生活や人生の中で、父は実体のない幽霊のような存在でしたから、姿も声もはっきりとはわからないテレビ電話を意図的に使いました。ひとりの人間として、彼の痛みや欠落を感じ取り、共感して同情しました。

Q: 家族を撮影するにあたって、どのような準備をしましたか?

YP: 撮影の前に、同意書にサインをしてもらったのですが、母親がなかなか同意書にサインをしてくれなくて、粗編集を見たあとで、同意するというサインをしたんです。驚いたことに映画を見た家族は、好意的な反応をしてくれました。父にはテープを送りましたが、見てくれません。

Q: なにか制限や限界を感じたそうですが……。

YP: まず、卒業制作なので締め切りがあって、時間が足りなかったと思います。そして、この映画制作は、責任や倫理的な問題を経験する極端な過程だったのではないかと思います。自分の愛する人、家族をカメラの前にさらし、濃密な感情や葛藤をさらけださせることは、非常に大きなリスクを負います。どこまで踏み込んでいいのか、どこまで見せていいのか、という倫理的な境界線を経験することになる過程でした。映画は、観客が見るものだと意識すべきです。自分の映像に込められたメッセージや結末が、影響を与えることがあることを自覚する必要があります。この映画は、自分と身近な人の映画であるために、それらの倫理的な限界点は濃厚に打ち出されました。タブーを破るべきではないと言っているのでもないし、倫理が大事だと言っているのでもありません。自分の中の限界に達する経験が大事であって、それを自覚する必要があるのではないでしょうか。非倫理的であったり、無責任であったりするのは良くないのではないかと思います。

Q: この映画を制作する時に迎えていた転機とは?

YP: ちょうど映画学校を卒業する時でした。失恋の痛手を被っていて、失恋を乗り越えられるような強い感情を持ちたいと思っていました。学校生活が終わり、新しい世界に踏み出す時期で、なんらかの意味で終わりに印をつけて、リセットするような行為が必要でした。それが、乳母たちを撮ることでした。この映画の出発点は、乳母たちの人生の軌跡を追ってはどうかということでした。結果的にはそうはならずに、私たちの家族の変化を追うことになりました。彼女たちにインタビューしていくうちに、彼女たちにあまり興味はないことに気づき、彼女たちが目撃した自分たちのことを知りたいと思ったのです。

Q: お兄さんたちは結婚に否定的な考えでしたが、結婚して子どもがほしいですか?

YP: 真ん中の兄は今、息子がいます。私自身は、なかなか決めかねています。なぜなら、家族が失敗するという恐怖を持っているからです。また、理想が高すぎると思います。それに今は、自分の人生で手一杯なのです。

 不思議なことに、次回作は母親をテーマにした作品を考えています。『パリッシュ家』の結果、生まれた企画です。母は74歳になろうとしていて、早くしないとどうなるかわからないので、どうしようかなと考えています。

(採録・構成:松本美保)

インタビュアー:松本美保、佐藤寛朗/通訳:藤岡朝子
写真撮影:常陸ひとみ/ビデオ撮影:宍戸幸次郎/ 2005-10-10