ピーター・メトラー 監督インタビュー
撮ることは探求すること
Q: 監督の作品が“セルフドキュメンタリー”として上映されたことについてどうお考えですか?
PM: “セルフドキュメンタリー”の意味するところは、いわゆる“事実”を扱った映画であっても、どんなに客観的に撮ったとしても、主観的ならざるをえないということです。自分というものを通して映画ができあがっていくので、映画としてできあがるものを操作していることになるのです。それは、作家が作品内に登場しようとしなかろうと、作家性が存在するということです。監督自身が作品の主題である映画もあれば、私の作品のように被写体をフィルターにかけているようなものもあり、様々な種類の作家性が存在します。観客がこの作品の撮影旅行の同行者になれるよう、小さなヒントを物語にちりばめています。ですから、本当の意味で“私について”の作品ではないのです。
Q: “何かを探求する(look for)”ことは、“ただ見る(look)”という行為とは違いますよね。たとえば、ある人物を見つめるとその人が見つめ返し、またその人を見つめ返す、といったような。インドである男性がカメラに気づき、じっとカメラを見つめるショットがありますが、これは言葉は何もないのに、被写体と結びついたような気持ちになります。
PM: いまおっしゃったことは、この映画全体においてとても重要なことです。ある意味、いま自分がいる場所を超えてものを見ることと、ただその場にいて目の前のものを見ることとは違うのです。それは、映画だけでなく私たちの人生でも同じです。注視したり、ここにいて室内のあらゆるものはいま自分が扱っているテーマかもしれないと思って見ることには、エネルギーが必要です。これは実際に映画を作っていく中でどんどんわかっていったことです。インドで体の不自由な男性を目にした時に、この男性を撮影することはいけない行為のように感じている自分に驚きました。ですから、彼にとても惹かれたのですが、彼を撮ろうとは思わなかった。だけど、実際に撮影を開始したら彼が現れて、彼も私たちに興味を持ったようでした。言葉は通じずただ視線を交わしただけでしたが、とても感動的な出来事でした。
Q: 映画でどのように世界における意味を見つけ、相互に世界と関係を持つのか、その過程がもうひとつの重要なテーマになっています。これは観客にはどのように影響しますか?
PM: 映画を見ている観客も同じような過程を経験するでしょう。ある人にとっては、映画が期待通りの展開をせずに見ていて辛くなるかもしれませんが、別の人にとっては馴染みやすいかもしれません。しかし、映画を見ながらいずれかの経験をすると思います。作品中のある人々に自己投影できるかもしれないし、別の状況の別の人に結びつきを感じるかもしれない。ある風景は自分の経験に則して意味深いかもしれませんが、他の風景はそうではないかもしれない。批判的に比べたりせず、映画では事象を並列的に提示して、それぞれが関連した場面として描こうとしています。その中で自分とは縁がないと思われる人々との共通性を見いだしてほしいと思います。
(採録・構成:加藤初代)
インタビュアー:マイケル・アーノルド
写真撮影:佐久間春美/ビデオ撮影:橋本優子/ 2005-10-12