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YIDFF 2005 私映画から見えるもの スイスと日本の一人称ドキュメンタリー
日々 "hibi" 13 full moons
前田真二郎 監督インタビュー

偶然と必然のコンポジション


Q: 撮影するうえでの時間的制約について、聞かせてください。

MS: まず、1日に1カットだけ撮影して、それを順番につないでいくことを思いついて、どうせやるなら1年間続けるのがおもしろいかなと。日によってカットの長さが変わるっていうのは最初から考えてなかったですね。同じ秒数で366カット……2004年はうるう年だったので366カット、そういうシンプルな構成を考えました。それは、以前にコンピュータによる自動編集で、きっちり同じ秒数のカットをつなげることを試していて、その質感を知っていたからかも。そして、 1カット10秒で最初に計算したんですが、この場合は3,660秒で約60分。1年を1時間にするということで魅力的だったんですが、試しに10秒のカットをいくつかつないでみたところ、想像以上にテンポが速くて、これは1時間は見られないだろうなと思ったんですね。15秒でつないでみるとなかなかよい感じでした。15秒というのはCMの長さを連想しますが、実は文化的背景としてこの長さが、ある心地よさを与えるのかなとも感じました。計算すると90分を越えるということになって、これは長編の大作だなとちょっと考えこんだのですが、CMの長さを366カットつなげると劇映画くらいの長さになるという、なんともいえない偶然のおもしろさが気に入りました。通常の劇映画の90分と比べて見てもらえるという部分もよいかなと。

Q: 月の周期を用いたのはなぜですか。

MS: 日常生活を送る中で、集中力を保ったまま1年間撮影をしていくのは、さすがに大変だろうなと思い、撮る時間帯が決まっていれば、その時だけ集中すればよいから、それなら可能かなと。そういうルールを設けようと思ったわけです。毎朝8時と決めるより、撮影する時間帯が変わっていくほうがおもしろいだろうと思って、月の満ち欠けを時間帯にあてはめることにしました。満月の時は夜中の12時を撮る。次の半月の時は朝の6時、新月の時は昼の12時というふうにして、毎日撮影する時間帯を決めました。今日は4時から5時の間とかそういう感じですね。月の運行をベースにすると、映像の中で1年を通して朝、昼、晩という13の周期が生まれるのもおもしろいかと思いました。その頃、太陰暦やマヤ歴の本を読んでいて、西洋の暦でないリズムで生活する興味もありました。

Q: ノートパソコンでの撮影はどうでしたか。

MS: 毎日15秒をつなげていくことを考えると、ビデオカメラからPCにその日にキャプチャーするのは大変だろうなと思って、じゃあ、カメラ付きノートパソコンで撮影もやってみようと。毎日持ち歩いて、時間が来たら撮影して、その場でつないでいくというようなイメージでした。そういった機動性を重んじての、ノートパソコンでの撮影でしたが、実際始めてみると、暗い所が撮れないとか、ズームがないとか、制約が一杯あるんですね。そもそも、起動時間が遅いのですぐに撮れないんですよ。DVカメラに変更しようかと数日してすぐに思いましたが、慣れない道具を楽しむことにしました。結果的には、新鮮な気持ちで撮影できてよかったと思ってます。6月に一度壊れて、そこからはDVカメラで撮ったり、ノートパソコンで撮ったりしてるんですけどね。

Q: カットの長さは一定のリズムであるのに、なぜかそれを感じることがなかったです。

MS: 同じ15秒でも短く感じたり、長く感じたりしますよね。たぶんこれは、映像体験における「没入感」と関係しているのだと思います。これは見る人によって違いはあるだろうけど、ある程度は共通しているのではないかと思います。カットに含まれる情報量、印象の強度といったものを、カットのつながりから判断して撮影していきました。一般的に劇映画などは、鑑賞者をいかに没入させるかといった作り方ではないかと思うのですが、この作品の場合は、没入したり、我に返ったりといったことをコンポジションできないだろうかと模索してます。瞑想体験に近いようなことができないだろうかと。見ている自身に意識的になることで、深部におりていけるような、見ている人に想起を促す装置のような作品を目指しています。

(採録・構成:森山清也)

インタビュアー:森山清也、加藤絵万
写真撮影:村山秀明/ビデオ撮影:村山秀明/ 2005-10-10