鎌仲ひとみ 監督インタビュー
自分の身に起きていることとして捉えて欲しい
Q: 前作『ヒバクシャ ― 世界の終わりに』(2003)から、今作を作るに至った経緯を教えてください。
KH: 前作は、なぜ劣化ウラン弾の被害でイラクの子どもたちが死ななくてはならないのか、という疑問から作った映画なのだけれど、劣化ウラン弾はどこから来ているのか、と突き詰めていったら、原子力産業から出てきていることがわかったわけです。それは、日本にある原子力発電所が動くことで、劣化ウランというゴミが出、それがミサイルとして使われ、被曝者が生まれるということです。そういった流れの根っこの部分を見ようというのが、今回の作品を作る動機なんです。『ヒバクシャ』のラストシーンに、六ヶ所村が出てきますが、そこを具体的に追究していったんです。
Q: その疑問をどのように追究していくのですか。
KH: 方法論としては、「予断を持たない」ことです。何年間もずっと核の問題を追究してきたのではなくて、本当に真っ白な状態で、「これって何だろう」という疑問からスタートしているんです。既存の誰かの意見によるのではなくて、自分の体験を元に、オリジナルなものを作ってみようと思いました。もちろんコンセプトはあるんですけど、事前勉強をせずに、カメラを持って、とりあえず現場に行ってみるんです。それは、取材相手にも先入観を持たないということです。
Q: 映画として完成する前に、「通信」として、ビデオやDVDとして配布した理由はなんですか。
KH: 映画を作るのに、1、2年間取材をして、最後に完成型として出すのではなくて、地域の中で何が起きているのかということを、なるべくリアルタイムに多くの人に知ってもらいたかったんです。あまり、人に興味を持ってもらいにくいテーマなので、事前に「通信」という形をとることで、映画への関心も持ってもらえるのではないかと思って。六ヶ所村だけの話ではなくて、観た方が、自分の日常に起こっていることとして捉えて、自分が同じ立場だったらどうするか、と考えてもらえたらと思ってます。
Q: 内部被曝はなかなか理解されにくいのかもしれません。
KH: 『ヒバクシャ』からの続きになりますけど、原爆というのは、爆発することでしか被害をもたらさないというように、巧妙に伝えられているんだけれども、実際は、食物などを通じて体内に取り込むことで、遺伝子が傷つけられたりして、じわじわと被害をもたらしていくものなんです。そのことは、イラクの劣化ウラン弾の被害によって注目されてきてはいますけど、放射能による内部被曝は、被害がわかりにくいのが現状です。見えないものを描く難しさはありますね。
Q: 『六ヶ所村ラプソディー』はどんな映画になりますか。
KH: 『六ヶ所村通信』とは別の作品になると思います。今回映画祭での上映に『六ヶ所村ラプソディー』の完成が間に合わなかったのは、完成させるだけの撮影ができていないことが理由です。普通だったら撮れてもいいような場所の撮影が許されなかったり、原発推進派、反対派の両方を同じバランスで撮りたいと思っているんですけど、それがなかなか難しかったりして。来年3月公開予定なので、まだ撮影は続けます。実は『六ヶ所村ラプソディー』は三部作のうちのひとつで、第三部なんです。ボスニアの民族紛争と劣化ウラン弾の被害についての作品が第二部だったんですが、公開のチャンスがまだないんです。疑問を追究していくと、なかなか1本では終わらないんですよ。
(採録・構成:加藤初代)
インタビュアー:加藤初代
写真撮影:加藤初代/ビデオ撮影:加藤孝信/ 2005-09-21 東京にて
※『六ヶ所村ラプソディー』は2006年に完成