杉本信昭 監督インタビュー
李君と杉本君
Q: 自転車に乗った李復明(リ・プーミョン)を追いかける画がとても映画的でした。
SN: カメラマンが片手運転で撮っていました。あのカメラマンでなければ撮れなかったですよ。バイク、装置、先回り作戦、とかいろいろ考えたんです。でもお金のこともあり、違うんじゃないか、ということになって、中古自転車屋さんに行って、僕とカメラマンとビデオエンジニアで1台ずつ買って、1日練習しました。それが偶然良かったのは、後ろからくっついて行くことで同じくらいの視点になれたんです。通り過ぎて行く人とか、シャッターがガラガラーと閉じるのが聞こえたり、道ばたで焼肉焼いてるおばちゃんがいたりとか。そういう雰囲気は、同じ自転車で追いかけて行ったことでしか出せなかったです。
Q: 生野の町の人々は、やさしかった印象がありますが。
SN: もちろん、彼らもいつもやさしいわけではないです。ただ、たとえば東京とはずいぶん状況が違いますね。関係を作るということ、PTAとか、町内会とか会社以外の新たな関係に踏み込む、そしてそれに応えていくということは、これまで積み上げてきたことに対して危険を伴いますよね。防御的にならざるをえない。関係性も、起こっても浅く、願わくば関係性ができないで欲しい、とか。そういうところが生野は、外れているんです。理由ははっきりはわかりませんが。ひとつには在日コリアンの人が多くて、防御的過ぎるというのがつまらない、ということを知っているんですよね。というか、それではやっていけない、というか。
電車で席を譲ることとか、落ちてるゴミを拾うこととか、習慣としてじゃなくて、自分の行為として、大きなことじゃなくてもたくさんあるわけですね。そういう時にちゃんと選択しているな、っていう感覚があったんですよ。たこやき屋のおばちゃんにせよ、自転車屋のおじちゃんにせよ、李にせよ。選択することによって、その人たちの生活の質が上がっているな、と思えた。これは、お金持ちになっていってるのとは関係ないけども。プライドというか誇りが、自分の意識で選択していくことにあるのかな、と思いました。決定とか接し方とか態度とかいうのは、もちろんこれだけマスメディアが発達しているなかで、知らないうちに与えられていることがたくさんあると思うんです。それをわかっていながら、いや、私はこうなんだ、僕はこうなんだ、という選び方が大人っぽいなと思いました。
Q: 「大事なことを書きたいんです」と言って、復明はホワイトボードをせがみましたね。
SN: 欲望がいつも成就するわけではないけれども、虎視眈々と狙っているし、ちょろちょろといつも炎を燃やしている。成就したいことがあれだけ整理されている、ということはものすごく狙っていると思うんですね。そういうことに向かって生きている。自分と違う、強い個人というものを感じて、見習うべきだと思いましたね。誰かの目とか、与えられた役割を考えてしまうじゃないですか。監督と助監督とか、そういう決められた、与えられたことをはずしていくと、僕に何が残るのか。何も残らないんじゃないかと。そこを彼は、「李君と杉本君」という関係で始めて来たわけですよ。それは、なれなれしさとか気安さとかではなくて、ある強さだと思うんですね。だからだいぶ刺激を受けました。だいぶ変わったと思いますね。
(採録・構成:曳野渚)
インタビュアー:曳野渚、橋浦太一
写真撮影:猪谷美夏/ビデオ撮影:加藤孝信/ 2005-09-16 東京にて