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YIDFF 2005 大歩向前走――台湾「全景」の試み
中寮での出会い
黄淑梅(ホアン・シュウーメイ)監督インタビュー

本質を捉えるための、厚みのある記録を目指して


Q: 中寮という土地を撮影場所に選んだ動機は何ですか?

HS: 自分の育った背景と関係があるかもしれません。私の故郷の村も、70年前に大地震を経験していて、私はその時の体験を、母や祖父母から聞かされて育ちました。震災直後、初めて永平街(中寮の中心地区)に入った時、崩れた建物一つひとつが、何かに重なるように見えたんです。それは母たちが経験し、私が聞かされてきたことだったのでしょう。

 ここには縁があるなと思って、壊れた建物が取り壊されていく様子を夢中で撮り続けていたら、中寮には、やたらと高圧鉄塔が多いことに気づきました。都会の利便のために山は削られるけど、町は衰退していく。そんな状況が、自分の故郷の村とかぶったんです。

 そのような中で若い村人たちと出会って、彼らの考えに深く共鳴したんですね。都会帰りの彼らには、地震を機に、村の古い体質をどうしても変えていきたい、という強い思いがあった。田舎育ちで、似たような状況を見てきた私には、彼らの思いが良く理解できたんです。

Q: 6時間という大作になりましたが、村の復興の困難な部分も含めて、丁寧に描いた理由は何ですか?

HS: 中寮の問題は、台湾人全体が引き起こした問題なのではないかという意識が、私の中にはありました。台湾では、物事の表面だけを捉えて伝える文化的な悪さがあって、理性的に本質を分析することが欠けている。土石流が何度も起こるのは、表層現象だけでなく、もっと深い根っこがあるからでしょう? だから、歴史や法律上の問題もきちんと勉強して、発生のメカニズムまで遡って撮らないといけない。映画にするからには、本質を捉えた、厚みのある記録にしたかったんです。

 地震で壊れた家に住み続けるおじさんがいましたよね。雨が降り続くと、いつも気になって彼の家に電話を掛けました。彼は「大丈夫」って言うんだけど、車は通れなくなるし、明らかに危険なわけです。彼が心配で、一度、歩いて撮りに行ったことがありました。危険な山道をずぶ濡れになって歩きながら、無力感にさいなまれて。私は土石流を止めることもできないし、何も世界を変えられない……焦りに近い思いの中で涙を流しながら、絶対にこの状況を撮って、背景まで伝えてやるんだ、と決心したんです。私には、それしかできませんからね。

Q: 撮影が進むにつれて、監督がどんどん積極的になっていった感じを受けましたが、どのようなことを考えながら撮っていたのですか?

HS: 私自身、映画を撮ることは、大きな使命感や責任感にかられたというよりは、たくさんの人と会って、自分の生きている意味を確かめるためでもありました。自分の故郷と同じように、人と人が密接に結びついた中寮の状況が壊されてしまったことに対する、怒りの気持ちも大きかったです。実際には、利権争いや官僚主義、結論の出ない話し合いの連続で、それでも撮り続けなきゃと、自分に鞭打つようにやっていました。いつも頭が混乱して、苦しかったです。

 だから、みんなで用水路を復活させようとする動きは、私にとっても、甘いキャンディのようなものでした。もしプロジェクトが失敗しても、若者と古老たちと、外部の人が一体となって取り組んだ時点で、村の精神はもう蘇っているわけですからね。あそこには、幸せの種がいっぱい詰まっているんですよ。

(採録・構成:佐藤寛朗)

インタビュアー:佐藤寛朗、柏崎まゆみ/通訳:吉井孝史
写真撮影:和田浩/ビデオ撮影:斎藤健太/ 2005-10-12