伊藤悟 氏 インタビュー
笛は僕の一部であって、笛を通して向こうの人たちのことを考えてほしい
Q: 民族音楽に興味を持ったきっかけは何ですか?
IS: 母がピアノの先生をやっていたので、音楽を身近に感じていたのですが、中学生の頃に反抗期で親とケンカをし、それに加え中学校の音楽教育がつまらなくて耐えられなかったんです。それで音楽が嫌になって、しばらく音楽と関係のないことばかりやっていました。高校では全然勉強はしませんでしたね。高校を卒業してアメリカへ行き、その後イギリスへ旅行することになったんです。その時に先輩から、「せっかくイギリスへ行くんだったら、本場のロックを聞いてこい」って言われたのを、なぜか僕は民族音楽を聴いてこいって言われたと勘違いしたんです。それで向こうでアイルランド音楽を聴いたら、本当にハマッちゃって。それからアイルランドに行き、毎日パブへ音楽を聴きに行きましたね。民族音楽には、生活と音っていう繋がりを身近に感じる所があって、人がいて生活が育まれていく、その生活から音が生まれてくる。そういう繋がりがすごく大切だと思います。どこか遠くではなく、自分の本当に近い所から感じる音楽があるってことを発見できたのが嬉しかった。そういうことから民族音楽をやろうと思ったのです。
Q: その後雲南大学へ入学していますよね。
IS: もともと、どこかに留学しようと思っていたのですが、ちょうど、大学で中国語を学んでいたので、安易に中国へ行こうと決めました。留学先の飲み屋へ行った時、たまたまそこで、ひょうたん笛の演奏が始まったんです。僕はもうこれしかないと思いましたね。その場ですぐに、ひょうたん笛を教えてくださいって頼みに行きましたよ。今、僕の先生である人がその人なんですけど。そういう先生に巡り合ったこともあり、日本の大学を辞めて、民族音楽の講義がある雲南大学へ編入することに決めました。しかしそのまま雲南にいたので、雲南省のことや雲南の抱える問題をまったく知りませんでした。僕の先生は少数民族でしたから、雲南の抱える問題を目の当りにしていたんです。それから先生と一緒に、何度もフィールドワークへ出かけました。バスで行けるような都会は、表面的には豊かに見えるんですが、山の上にのぼって行くと服を着ていない子どもがいたりして、本当に貧しい生活をしているんです。そういう少数民族の生活を、もっと多くの人に知ってもらいたいですね。だから、僕がひょうたん笛を演奏するのは、ひょうたん笛や民族音楽について知ってもらうためじゃないんです。笛は僕の一部であって、笛を通して向こうの人たちのことを考えてほしい。彼らの内面に通じるものを感じとって、一歩ずつ近づいてわかりあえればいいかなって思いますね。
Q: 今後の活動について教えてください。
IS: 僕は性格上、何でもこなせるタイプの人間で、大抵のことはそつなくできる。しかし、天才的に優れているわけではないんです。それがすごく悲しくて。でも、天才的な技術や才能を持っている演奏家ではないけれど、今まで経験してきたいろんなことを、上手く繋げていければ良いなって思いますね。もちろん、音楽は続けていくつもりですが、現地の人たちと繋がりながら日本でも活動して、40〜50歳くらいまでに苦労をせずにご飯を食べていければ良いですね。僕の先生は、 50歳くらいでようやく貧乏生活から抜け出し、今では海外へ演奏しに行くくらいすごい演奏家になっているので、僕は焦る必要はないなぁと思います。
(採録・構成:菅原大輔)
インタビュアー:菅原大輔、高山真理映
写真撮影:橋本優子/ビデオ撮影:渡辺亜弓/ 2005-10-13