翁燕萍(ウォン・イエンピン) 監督インタビュー
みんなに知ってもらいたい
Q: なぜ自分の記憶を辿った作品を作ろうと思ったのですか。
EY: 1960年代から現在まで、多くのシンガポールの人たちが移住を強いられましたが、彼らが何を考えていたのかということを表現したドキュメンタリーがなかったのです。私が村を出たのはとても幼い頃で、村がどれだけ自分に影響を持っていたかということも、実際撮影を始めてから気づくような状態で、私は作ることに責任があると感じました。
Q: 移住せざるを得ない国策とは、どんなものだったのですか?
EY: 国家開発計画の一環として、移住を余儀なくされました。私の村の場合は、国防総省が軍事訓練のために土地を使うということでした。この国家開発計画は1960年代から始まり、住宅用や企業、工場の開発などが行われていました。私の村が、その開発計画に入ったのは1980年代でした。
Q: この作品のナレーションは、すごく訴えるものがありました。何か気をつけた点は?
EY: これは自分のストーリーなので、自分がどう感じているかというのは世界中で私しか知りません。親友に、英語はあまり上手じゃないから、自分でナレーションをやるのはちょっと無理なのでは、と言われ相当悩みました。英語はプロではないし、発音もまずいかもしれないけれど、私の言葉を伝えたいと思い、今回は自分でやりました。あくまでも私的な作品なので、下手でも自分で話そうと思いました。声を聞いて魅力的だと考えてくれたことはとても嬉しいです。
Q: 犬のアニメーションは切なく、寂しさを覚えるものでした。犬を置いてくるということで、何か自分に変化はなかったのですか?
EY: 子どもながらに、悲しさをおさえていたんだと思います。それをあまり表面に出さずに過ごしてきましたが、それが本当に重要だということが、この撮影を始めることによってわかってきました。それは山よりも高く、空よりも広い悲しみだということに、この作品を作ることにより気づかされました。編集を始めて約10日間、泣いて過ごした時期がありました。犬を残していくこと、自分が村から去ること、自分の子どもの頃をそこに置いてこなければいけなかったこと。その影響というのは自分が想像していた以上に強かったということです。今の家の近くに、置いてきた犬そっくりな犬がいますが、無意識にその犬に近寄らず、撫でることさえ避けていました。それは、残してきた犬の思い出からだと、今になって気づきました。
Q: 作品で、自分のパーソナルな部分を人に伝えるのは大変なことですが、自分を客観的に捉えられたからこそ良くできたのではありませんか?
EY: これは私の心に近いものですので、当然主観的になります。意図的に明るいナレーションを入れて、悲しい体験にコントラストを加えたり、バランスを整えるために村の人や、政治家のインタビューを入れたりして、作品の説得力を出そうとしました。
Q: 次回作は、どのようなものを予定しているのでしょう?
EY: これからも、ドキュメンタリーを作っていきたいと思っています。今回は情熱を持って作った作品で、次の作品もやはり同じくらい情熱を持って取り組める題材でなければいけないので、それを模索中です。今シンガポールは、非常にハイテク技術が進んでいて、孤立したきれいな国としてしか、海外では理解されていません。今回の作品では、その裏には辛い経験をした人もいるということを示したかったのです。この先私が語りたいテーマも、多分そういった類なのだと思います。声の弱い人たち、まったくこれまで声の聞こえなかった人たちのストーリーがあれば、そういうものを世界に伝えていきたいと思います。
(採録・構成:佐藤朱理)
インタビュアー:佐藤朱理、橋浦太一/通訳:川口陽子
写真撮影:阿部さつき/ビデオ撮影:山口実果/ 2005-10-09