陸麗珊(ルー・リーシャン)監督、何俊雄(ホー・ジュンション)監督 インタビュー
作品を撮って気づいたシンガポール社会の現状
Q: 登場人物が、とても淡々と語っていたのが気になったのですが。
陸麗珊(GL): 多くの人に同じようなことを言われました。私自身、彼女の娘たちがあたかも他人のように話していることが意外でした。私にとっていとこに当たる彼女たちとは年に1回旧正月に会う程度なので、普段接触はないのですが、この映画作りを通してよく知ることができました。他の親戚、叔母の夫の親戚は、もともとその家族とはつき合いがなかったので、第三者的に淡々と話すのは理解できたのですが、なぜ娘たちまでがそうなのかはじめはわかりませんでした。ずっと話すうちに、彼女たちは母親にそのように育てられたのではないかと思うようになりました。叔母自身もあまり感情を示さず、特にいやなことや悲しいことは他人に話さなかったタイプなので、娘たちもそれを引き継いでいるのではないかと思いました。
Q: 制作の動機、またおふたりで作ることになったきっかけは?
GL: 私は映像の仕事をしているので、叔父の方から、「この出来事を誰かに訴えたい、プレスに対して発表したいんだけどどうだろう?」と相談があったんです。私としては、もしプレスを通じて発表すると、シンガポール中に知れてしまうし、子どもたちも学校でいじめられたりするかもしれないから、それはやめたほうがいいとアドバイスしました。そして、それならば、自分たちで映像にさせてほしいと言ったら、叔父は喜んで了解してくれました。また、これを作品として仕上げるかどうかは別として、話すということが、叔父にとって一種の治療になるのではないかと思いました。
何俊雄(HC): 私は元々映画作りとは関係なく、彼女とは友だちで、彼女の叔母なので、葬式の手伝いに行ったんです。私は好奇心が強いので、なぜ自殺したのか聞いたら、「刑事事件に巻き込まれてしまい、親戚は叔母は無実であると主張している」ということでした。そこから話が展開していきました。
Q: 自殺の原因について何か感じたことはありましたか?
GL: 警察ざたになり尋問されて自殺したということを聞いていたので、なにか不公平なことが起きたのではないかと思い、そういう観点から撮影を始めました。叔母は男の子に何も危害を加えてないと思いますが、警察官が一方的に悪くはないのではないかと思いはじめました。警察官も先入観で見たのかもしれませんが、叔母自身も警察官に対して一切、自分の意見を述べなかったところも悪いのではないかと思ったからです。この作品は二部構成ですが、ひとつは実際に起きたことを時間経緯でしっかりと撮っていきました。それと同時に叔母の性格に焦点をあてていきました。そういう人間だから、最終的に自殺に至ったのではないかと思うようになりました。
HC: 私が思ったのは叔母の家族が、家族としてしっかり成立していなかったのではないかということです。特に夫というのは、どちらかというと亭主関白で、妻を愛してたとは思いますが、妻に対して、感情面でのサポートがなかったのではないかと。だから、叔母も叔父が怖くて自分に起きた出来事を話せなかった。そういう意味での、家族のすれ違いがあったのではないかと思います。
Q: この作品を撮って、監督自身の心の変化はありましたか?
GL: これまでも、自分が住んでいる社会に興味はあったけれども、このように、自分の親戚を撮ることによって、こういう人たちもいるんだ、どちらかというと教育レベルが低く無知であって、それがゆえに抱えている問題もあることがわかりました。親戚だけでなくシンガポールの中にも、そういう人たちがいるということに初めて気づかされました。だから自分としては、もっと自分の住んでいる社会に目を向けなくてはいけないのではないかと思うようになりました。それがこの作品を作って得た教訓ではないかと思います。
HC: 数年後に娘たちや夫がどのように変わってきたか、または、このような映画祭に参加することによって、何か効果があったか、自分たちの生活が変わったか、叔母に対する理解が深まったか、それを、また新たなドキュメンタリーにしたいと思っています。
(採録・構成:丹野絵美)
インタビュアー:丹野絵美、楠瀬かおり/通訳:川口陽子
写真撮影:楠瀬かおり/ビデオ撮影:大谷紫津/ 2005-10-12