瀧健太郎 監督インタビュー
暴力的ではない、すごく知的な革命
Q: 作品がいくつかの章で構成されていて、「メディアの檻」や「交換可能都」は以前にひとつの作品として発表されていますね。今回の『虚構の砦』は、どのような意識で作られたのですか?
TK: 僕は1997年くらいからビデオアートをやり始めたので、7年くらいになるんですよ。これまでの作品は、1作品に1ネタで、順番に見ていくと僕の言いたいことがわかると思います。ただ、カチッとしたひとつの作品を作らないとまずいなと思ったんです。これまでの経験と他のアーティストから受けた影響などを全部パックにした映像作品を作ろうと思いました。
Q: 既存のドキュメンタリーの手法ではないですね。
TK: 現代の視覚における状況や、都市が変容していたりする中で、その結果として、人間はどんどんバカになってきているんじゃないかという考えがあって、そういうのをパッケージする作品だったら、これは現代の視覚におけるドキュメンタリーだなと思ったんです。
Q: 都市に対する観察の仕方が独特で面白いです。
TK: 東京に住んでいると、ある日、突然見たことのないビルが建っていたり、気にいっていた店が無くなっていたりするんですね。その一方で、フランスの誰々さんが建てた建築の横に、日本の誰々さんが建てた建築が並んでいる。これはコラージュなんですよ。切ったり貼ったり恣意的なものもあれば、偶然取り合わされたものもある。写真やビデオで行われていることが、都市全体で起こっていると思ったんですね。
Q: 最後の章の「団結をもって、真の実践を起こそう!」という言葉はどのような意味ですか?
TK: 今の世の中で、もてはやされたり、持ち上げられたりするアーティストの在り方というのはソロなんですね。特に個人映像をやっている人は、他人を蹴落としてでも売れようとする。結果、それがどうなるかというと、マスメディアに回収されてしまうんです。よくあるじゃないですか、インディーズでやっていたバンドが、メジャーデビューした途端におもしろくなくなるみたいな。メディアに取り上げられることと、有名になることは表裏一体なんですね。表現としてすごくいいメッセージや、コンテンツを持っていたとしても、メディアによって単に利用されてしまっていると思います。だから、マスメディアに躍り出る縦軸の方向性ではなく、横軸にどんどんネットワークが繋がっていくことが必要です。匿名だけど、時代の雰囲気を示すようなグループ、何人かの連なりみたいなものがあってもいいんじゃないか。それによって、マスメディアが牛耳っている世界のようなものが、もしあるとしたら、いつかパカンと裏返るかもしれない。それは、昔あったような暴力的な革命ではない、テロでもない、血も流さない、すごく知的な革命が起こるのではないかと思うんですよ。まぁ、縦軸にも横軸にも行けたらいいんですけどね。
(採録・構成:森山清也)
インタビュアー:森山清也、石井玲衣
写真撮影:佐藤寛朗/ビデオ撮影:加藤孝信/2005-09-19 東京にて