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YIDFF 2005 アジア千波万波
Dear Pyongyang
梁英姫(ヤン・ヨンヒ) 監督インタビュー

家庭のなかでの小さな統一


Q: この映画を作られた経緯を教えてください。

YY: 20代の間には私も父に反発しました。自分のバックグラウンドが重かったんですね。父も「娘はどうやら違う価値観を持っているらしい」と気づいてからは、ご飯も一緒に食べなかった。在日にもいろんな家族があるけれども、両親とも朝鮮総聯の幹部で、息子たちを全員北朝鮮に捧げてしまって、金日成様一筋、という感じ。もうちょっと普通の在日の家族だったら良かったのにって、ずっと思っていたんですね。

 30歳になる頃から、ニュースとか、実際生きてる人の物語の方が、作ったドラマよりもおもしろいというのに気づき始めました。それとほぼ時を同じくして、自分の家族のことをおもしろいな、と思うようになりました。ちょっと距離ができたんでしょうか。10年前のことです。そんな時にカメラを勧められて。山形映画祭も勧められて通いはじめて、世界中にこんなにもたくさん、自分とか自分の家族のことを撮っている人がいるんだ、ということにすごく刺激をうけて。うちの家族もネタとしては負けてないかなと(笑)。何かできればいいな、とぼんやりと思っていました。山形映画祭は私にとってはドキュメンタリー学校で、2年に1回見るためだけに通っていて、いつかここに自分の作品を出したいっていうのがずっと大きな目標だったので、今回すごくうれしいです。やっと実現という感じですね。10歳も年とっちゃいましたけどもね。

Q: この映画は、在日や朝鮮を扱いながらも、お父さんの人生と、娘である監督の物語ですよね。

YY: 以前は、父親の生き方に反発も感じましたけれども、「韓国の済州島出身なのに、なんでそんなに金日成に惚れ込むのか」というのが、自分の目線で考えていても見えてこない。私がまだ生まれていない、あの時代に生きて、だからこういう選択をしたんだなって、彼の立ち位置から辿ってみたいと思いました。イデオロギーでは父と対立というか、相容れない部分もありました。でも最後に父が「お前のチョイスも認める」、「国籍変えろ」と言ったんですね。とりあえず日本からの出入国に便利な韓国籍に変える、いうのを父が受け入れてくれて、やっとこれから父と話し合えるな、と思ったら倒れてしまいました。あの部分を見て友人が、「英姫の家庭の中で小さな統一がやっと実現したんだね」って言ったんですね。その話を聞いてすごくうれしかった。お互いを認めあって共存するというか、相手を非難したり否定したりせずに、お前の考えはそうか、わかった、でも私はこうだ、とお互いが強要もしない。お互いのままで、でも腹割って話して認め合って、親子として一緒にご飯も食べて、ということがひとつの家庭でもこれだけ難しいんだから、ひとつの国が統一統一というけれど、本当に難しいんだなと。でも共存するってこういうことなのかな、と改めて父に教えられた気がしますね。

Q: 今後はどんな展望をお持ちですか?

YY: 話し合いが始まるような、作品を作りたいなと。見終わった後飲みに行って、そこで「うちのおやじもさあ」とか、自分と自分の家族の関係とか、他人事としてではなくて、自分に置き換えながらの話し合いが生まれるような作品を作りたいと思います。

(採録・構成:曳野渚)

インタビュアー:曳野渚、猪谷美夏
写真撮影:佐藤寛朗/ビデオ撮影:加藤孝信/ 2005-09-30 東京にて