加藤治代 監督インタビュー
笑顔の下の見えない涙
Q: 撮影は、どのように始まったんですか?
KH: 母が病気になって、余命1、2年と言われた時はパニックで、撮影するどころではなかったです。1回目の白血病の時は、一旦治ったんですね。だけど、それを繰り返す病気なんですよ。治って、体調を維持する生活に戻ったんですね。その生活はすごく単調なんです。すごく具合が悪いわけでもないし、かといって、どこか遊びに行くこともできない。退屈もあったんですね。そういう時、デジタルカメラが安く手に入る時期で、パソコンを購入すると、自分の家で編集ができるような環境があったんです。母に治って欲しかったので、そういう気持ちも込めて、撮ってみようと思ったんです。本当に治ると思っていたから、治るところを撮ることしか考えていないんですよね。具合が悪くなると撮れなくなるし、私も撮影するどころじゃなくなるんですよ。そこまで、撮影するほど強い気持ちがその時は無かったんです。だけど、だんだんと現実に強くさせられました。辛いことは、タフじゃないと長い間耐えられないじゃないですか。それなりの強さを身に付けないと生活ができないし、撮影していくのは辛すぎる。私も強くなったから、亡くなった後もカメラを持てたのだと思います。
Q: 加藤さんのすごく印象に残っている言葉で「大切な時に撮れなくなる」ということについて、もっと詳しく聞かせてください。
KH: 撮ろうという気持ちはあるんです。だけど、本当に具合が悪い時、たとえば、トイレを抱えて、ゲー、ゲーと吐いている、それは、やっぱり根性ないし、撮れないんです。だけど、そういう毎日ですから。調子がよさそうだなとか、退院できたとか、そういう時は、もちろん撮りましたけど、毎日の繰り返しの断片を、撮っているだけのことじゃないですか。今日撮れなかったと思うことはあっても、同じことは、明日にも明後日もあると思うんです。亡くなって、葬式が終わって、その晩くらいから編集を始めました。それは、編集を始めたというよりも、動いている母を見たかったんですよ。もう、いなくなっちゃったから、焼いちゃったし。編集ってかっこうばかりで、パソコンに向かってずっと見ていたんです。毎日、泣いているんですけどね。
Q: タイトルである『チーズ と うじ虫』については……。
KH: 私は、意図としては、綺麗なものと、うじ虫のような忌まわしいものを対等に撮ろうと思ったんです。見たくないもの、要するに、この映画では死ということですけど、忌まわしいものもちゃんと見なきゃということがあったんです。だから、うじ虫は外せないんです。そして、最後のエンディングで、白い画面に雫が落ちるというのは牛乳です。牛乳からチーズを作ると、とてもおいしいですよね。皆おいしいって食べるものが、長い時間が経つと、うじ虫が湧く。私にとっては、チーズというのは一番味わうところなんです。食べること、作ることと近い生活だったので、その中で、季節ごとにうじ虫は必ず出てくるものでした。だから、食とうじ虫のサイクルみたいなものと母を撮れたらなというのは、最初からありました。
Q: 男の子がお母さんの側に来て、泣き出すシーンがありますよね。
KH: 映画の中で、私や母は絶対泣かないんだと、最初から決めていたんですよ。実際は、私はすごく泣き虫で、何でも何かあるとピッて涙が流れるんです。でも、泣かないって決めたんです。あの映画で泣くのは、あの子だけ。泣かないというのは、負けないということなんです。私は、群馬の女ですから。作品もそれで通そうと思って、だけどあの子だけが、あの子が泣いてくれればいいって思ったんです。泣いているシーンというのは、本当に撮れなかったんですよ。さんざん笑っている下では、さんざん泣いているんで、泣いているシーンを入れないというのは、それだけ泣いているんですよ。
(採録・構成:森山清也)
インタビュアー:森山清也、佐藤寛朗
写真撮影:土田裕子/ビデオ撮影:小山大輔/ 2005-10-09