蘇青(スー・チン)監督、米娜(ミー・ナー)監督 インタビュー
多様な他者を受け入れられる社会の豊かさを
Q: 映像がない音だけのラストシーンについて。
米娜(M): ろう者を取り囲む家族を撮るという点は、非常に難しかった。特に、ろう者である自分の子どもたちが抱えている現実は、ある意味残酷なもので、家族としては、撮ってほしくないことです。特にラストシーンは、絶対撮らせないと景明(ジンミン)のお母さんに反対されました。そのために音声のみで映像がないのです。実を結ばない愛の物語を、一番伝えたかったのではありません。ろう者に発言権が与えられていない現実を、知って欲しかったのです。ラストの会話は、1時間のものを10分にまとめましたが、その10分さえも、観客にとっては、うんざりして疲れるものだったと思います。疲れるということで、彼らが感じている無力感を実感してもらえるのではないかと、あえて観客が苦痛に感じる処理をしました。主人公の景明は、家族や周囲の人々の言葉の攻撃に遇い、自由に発言することができません。“言葉”の権力によって、主張する“言葉”を奪われたものの立場を理解してほしかったのです。
Q: 『白塔』というタイトルに込めた意味は?
M: 市場経済化によって、中国、そして中国人の価値観も大きく変わってきています。表面的には中国経済は上向きだといわれていますが、ろう者の生活は過去よりも過酷な状況にあります。彼らの住む地域の革命記念塔である白塔も、本来の政治的な意味を忘れられ、ただの白い塔という認識しかされなくなっています。タイトルはそのふたつの状況を重ねて表しています。
Q: この作品からは、ろう者の世界を撮りたいという、ふたりの強い気持ちが感じられます。
蘇青: 中国には、社会的な弱者にまったく発言権が与えられていない現実があります。富も健常者に集中していて、たとえば、ろう者は聞こえないということだけで、主流社会から排除されています。実際中国には、2,000万人以上のろう者がいるのに、手話に興味を持つ人も少なく、健常者はろう者を理解していません。たとえ興味をもったとしても、どういうふうにコミュニケーションをとったらいいのかがわからないのです。この作品を通して、まずはろう者のおかれている状況、その世界を表現しようと思いました。そして健常者の価値観を変えたかったのです。手話というのは、独特の言語であり容易に習得されるものでもありません。しかし私は、ろう者と健常者がコミュニケーションを通じて、お互いの世界をつなげていく必要があると思います。私はその一助になりたいと思いました。
M: ろう者と健常者のふたつの世界が同じではないことこそが重要です。社会が許容度を増すこと、新しいものを受け入れられる土壌を備えた、豊かな社会にすることこそが大切です。彼らが弱者であって、救わなければならないとか、かわいそうだという見方だけではなく、手話はもうひとつの言語であり、サブカルチャーだということを示したかったのです。『白塔』で伝えたかったことは、ろう者の生活が苦しいということだけではなく、彼らの持つ言語、会話の豊かさです。そして一番重要なのは、自己と違う他人と、どうコミュニケーションをとるかということです。このことは、世界的な大きなテーマだと思っています。しかし、『白塔』ではそれが十分描かれていないのではないかと残念に思うと同時に、今後の課題だと考えています。次回作は、高齢のろう者たちが中国の歴史というものを、どのように見てきているのかをインタビューした作品を考え、準備しています。
(採録・構成:遠藤暁子)
インタビュアー:遠藤暁子、丹野絵美/通訳:秋山珠子
写真撮影:斎藤健太/ビデオ撮影:小山大輔/ 2005-10-08