ミハウ・レシチロフスキー 監督インタビュー
事実をあるがままに描いた作品、それは今後も力を持って続いていく
Q: 彼らはなぜ、ネオナチを支持するようになったのでしょうか?
ML: 僕もその答えを知りたい。ただ、彼らは普通の若者ではないのです。どこが普通の人と違うかというと、ピアノの和音にたとえれば、彼らの感情の和音というのは、とってもシンプルな一音とか二音です。いろんなことに対する反応が憎しみだったり疎外感であったり、そういったシンプルなものだけなのです。普通の人は、もっと複雑なものが入り混じっていて、いろんなことに対処します。彼らの場合、憎しみなどひとつだけに突進してしまうのです。彼らが犯した犯罪というのは、たとえば爆発物を所持していたり、恐喝であったり、殺人未遂であったり、これらはとてもじゃないが普通の人の所業ではないと感じます。ただ彼らと接していて、彼らが自分とはそんなに違わない若者なんだなと感じてしまうところもあるので複雑なのです。ある演出家が書いているのだけれど「彼らは私たちとそんなには違ってはいない。ただ、私たちとは表現の仕方が違う」と。一番の違いというのは、彼らはネオナチということです。彼らが一番大切にしているのは、清潔と秩序。清潔とは民族浄化ということです。自分たちとは違う国の人間、物乞い、病人、弱者、を排除しようとします。ネオナチというと、ドイツの第二次大戦中のナチからきていると一般的には思われているけれども、運動の一部分はアメリカから始まっています。ネオナチというのは思想、ではなく心理的なものではないかと思います。何かを信じているからネオナチなのではなく、憎しみ・恐怖といった心理的なものが「ネオナチ」として表現されているのではないでしょうか。とにかく、この問題は一筋縄ではいかなくて、とっても複雑な問題なので、私自身ある側面から考えているだけで、すべてを理解してはいません。
Q: とても複雑に描かれていると思ったのですが。
ML: とてもシンプルに作ったと思います。この作品を作るにあたって、一番シンプルな形にして表現しました。この作品は、本当に複雑な現実というものを表現した映画であって、心理的に、思想的に、社会的に、さらに映画において非常に複雑なものです。だから、自分で理解できるように、可能な限りシンプルにしたつもりです。あまりにも知的過ぎて、誰にも理解できない映画が存在しますが、そういったものと、今回の作品とは全然違うものです。
Q: では、この映画の意義は?
ML: 僕が思うこの映画の意義とは、芸術とはどのように作られるのか、芸術とは何をすべきか、ということです。芸術とは、観察しそれを描くこと。僕はこの映画で、現実をシンプルに描こうとしました。続いていくべき芸術作品というのは、ただ事実をあるがままに描いた作品です。それは今後も力を持って続いていくと思います。事実を解釈してしまうと、その解釈は明日には古いものになってしまいます。明日にはまた新しい解釈が出てくるでしょう。人というのは、成長していくもので、新たな解釈が出てくるべきです。だから、解釈を加えると古くなるので、私は事実のみを描きます。それがアートの可能性だと思います。
(採録・構成:中嶋麻美)
インタビュアー:中嶋麻美、佐藤久美子/通訳:川口隆夫
写真撮影:阿部さつき/ビデオ撮影:大木千恵子/ 2005-10-12