ラケッシュ・シャルマ 監督インタビュー
ひとりでも多くの人に、事実を伝えるために
Q: ムスリムとヒンドゥー、対立する立場の人々が交互に出てきますが、監督はどういう立場で取材に臨まれたのでしょうか?
RS: あくまで中道的な立場で、冷静に捉えているつもりです。犠牲者にも加害者にもそれなりの言い分はあるだろうし、ムスリムにしろヒンドゥーにしろ、選挙のために洗脳されていますからね。ただ私のラケッシュ・シャルマという名前からしてヒンドゥーであることや、彼らの政党には属していないことはわかったうえで、取材に答えてくれていたと思います。
このグジャラート州で起きた悲劇に関しては、内部より、外部から見ている人のほうが物事を冷静に捉えていると思います。問題があるとすれば、どのマスコミもそうですが、ヒンドゥー教の右派勢力の妨害に遭っていることです。私も最初、投石に遭いましたし、政治集会の撮影では、警察や情報局に何度も逮捕されそうになりました。しかし、どんな妨害が起きても、我々は突き進んでいくより方法が無いのです。
Q: 人々の政治的な熱狂に対して、意見を述べたくなるということはなかったのですか。
RS: 私は、最初からあなたの意見に賛成だ、という形では取材に行かないんですね。フィルムメーカーとして一番大切にしているのは、事実状況を年代順にそのまま撮っていくこと。二番目は、歴史と本人のパーソナリティを重視することです。たとえば殺人者がいたとして、その人が殺人を犯したことがわかっていたとしても、あなたが実際に何をしたのかを問う、という形でインタビューをする。政治的なことに関しても、常に冷静な立場で挑んでいかなければ、真実は見つけられないでしょう。
Q: この地域の人々は、宗教と生活が密接している印象を受けましたが。
RS: この地域の対立は、宗教が問題なのではない。生活に政治的意図を介在させている、政治が問題だと思います。1000年もの昔からムスリムとヒンドゥーが共存していた地域ですからね。たとえばレストランでタリ(インドの定食)を頼んでも、ポテトやチリはポルトガルから来ているし、スパイスやピクルスはムスリムのものですよね。そういう食べ物が出てくるのが何よりの証拠なのに、様々な政治勢力がそれに対して線引きを始めた。特に1990年代になって、ヒンドゥー教右派勢力が政権を握ると、警察の制服や学校教育など、いろいろな部分でその主張を誇示しようとしてきた。その結果、ムスリムの優秀な学生たちは、ヒンドゥー教徒のエリアに移住しなければならなくなったし、その中ではイスラム教徒に対する経済的な暴力が起きてきた。こうした“ゲットー化”が、他の地域においても起きているのでは?という疑問が、今回の製作の大きな動機です。
Q: DVDを大量に配布するなど、型破りな上映活動を展開したと聞きましたが、その意図は?
RS: 主に国の機関から上映許可を得るための運動だったのですが、裁判で上映が認められるまで2年、というのはあまりにも長い。そこで私は1万部のコピーを作成して、複製も自由だと言って、ケーブルTV局、政治批評誌、NGO、テレフォンオペレータ、大学生など、できるだけ多くの人に無償で配りました。インド国内で合計20万部ぐらいは出回ったはずです。そうすることで、今までドキュメンタリー映画を欲していなかった層、とりわけ経済や教育の面で問題があって事実状況が分からなかった、いわゆる大衆と呼ばれる人たちに作品が伝わり、彼らに対しても問題提起ができると考えたからです。
(採録・構成:佐藤寛朗)
インタビュアー:佐藤寛朗、石井玲衣/通訳:川島恵美子
写真撮影:佐藤朱理/ビデオ撮影:斎藤健太/ 2005-10-12