ケース・ヒン 監督インタビュー
生まれなかった映画たちに命を吹き込む
Q: この映画を撮ったきっかけは何でしたか。
KH: プロデューサーのロルフ・オルテルが、この本をパリの書店で見つけました。それで5人の監督に映画化の話を持ち掛けたのです。この本を最初に見た時、なんて愛らしい本なんだと思いました。手にとって、赤ちゃんを抱くように、美しい女性を見つめるように、眺めました。見てみてください。100本の脚本それぞれが独自の構成になっています。ここに、100本の脚本が未完のままある。「よし! 何かしなければ」ということになったんです。脚本家のK・スヒッペルスとはよく仕事をする仲なので、一緒に作業を開始しました。彼はいい脚本家で、ユーモアに溢れています。
Q: 生まれていない、未完の脚本を映像化する際の、おもしろさと大変さを教えてください。
KH: たとえば画家が、いろんな材料のなかから、これは、まん中に、これはここに配置して、というように創作を始めていきますよね。スヒッペルスと僕も、そんなふうにして何もないところから始めました。その時、僕たちが考えていたのは、ブニュエルはこの映画を作った、これは完成している、だから僕らは誰にも完成してもらえなかったかわいそうな脚本たちを映画化していこう、ということです。撮影までに、どうやって撮影するかについても細かに決めていました。というのは、好きな作家の脚本を選んでいたので、彼ならばどうやって撮るだろうか、ということを意識していたのです。書くことと考えることも大変な作業ですが、撮影はもっと大変です。というのは、大勢の人と一緒に限られた時間のなかで、団結して行動しないといけないからです。カメラマンや俳優が、それぞれのことを言ってくるのでそれに対応しなければいけません。予期しないこともよく起こりますし、時には即興のアイディアをいれたり、変えたり、変えなかったり、楽しげにしたり、しなかったり、その脚本に命を吹き込むためにありとあらゆることをします。映画の製作中に力となってくれていたのは、この脚本を書いた人々の存在です。彼らがやるように、そっくりそのまま撮りたいと思っていました。脚本を書いたひとりであるイヴ・クラインが、私のことを見ているような気さえしていましたね。
Q: ナレーターの女性と紙切れが、映画全体に統一感を与えていますね。
KH: ナレーションやコメンタリーをする人は、普通画面には登場しません。この映画は、映画についての映画で、遊び心を大事にしたかったので、ナレーターの彼女自身が映画を始めています。彼女が、「さあ、何を言えばいいの? 何をすればいいの?」と問いかけることでね。紙切れも、大事な役者のひとりです。ご覧になればわかるように、最後のエピソードから生まれたアイディアなので、紙自体も本からすり抜けて、最後には元の場所に戻ります。ひとつの主旋律になって映画全体で流れていると言えると思います。この種の遊び心は、音楽と似ているかもしれません。音楽を聴いてもそれを目で見て確認できないのと同じように、映画を見ればわかるのだけど、家に帰って「それで、何を見て来たの?」と聞かれても、ただ、「おもしろかった」と答えることしかできないようにね。
(採録・構成:曳野渚)
インタビュアー:曳野渚、中島愛/通訳:斉藤新子
写真撮影:佐藤朱理/ビデオ撮影:佐藤朱理/ 2005-10-10