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YIDFF 2003 第18回国民文化祭・やまがた2003 ドキュメンタリー映画フェスティバル
(うち)をせかさんといて! ―ある不登校少女の「記録」―
渡辺崇 監督インタビュー

変化する時間を肯定したかった


Q: 作品の舞台となった学生芝居『チェンジ』は、原プロデューサーが紹介して下さったとの事ですが。

WT: 最初は抵抗していたんです。しかし、「若いうちはいろんな人と知り合って、相手を納得させる力を持たないといけない」と、否定されました。一種のアジテーションだったんですが、「じゃ、やってやろうか」ぐらいの気持ちで飛び込みました。

Q: 主人公の長住亜美さんと接して、変化した価値観はありますか?

WT: 亜美さんを見ているうちに、それが自分に跳ね返ってきました。他人の事を分かろうとした時、「自分に立ち戻る」ことは不可欠だったのです。彼女は、高一の終りに高校を辞めました。僕は、高校を辞めませんでした。辞めるのにも、勇気と努力がいります。当然周りの目もあるし、親と喧嘩もするでしょう。「上手く普通にやっていれば何も問題ない」という選択をしていたんです。「行きたくないから、行かない」と言える強さはあるんじゃないか。それは、素直な感覚なんじゃないか、と考えるようになりました。

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Q: 作品の中に渡辺監督を登場させていますが、それはどうしてですか?

WT: 最初、撮影者の姿は全然現わさないつもりでした。しかし、「じゃ、なんで、僕が撮っているんだろう」と思うようになったんです。作っている人の顔が見えないと、意味がないんじゃないかと。また、出演者の人たちは、「不登校でした」「拒食症でした」って、何も得しないことを話してくれています。そこで、自分の事もしゃべらないといけない、と思いました。僕自身、その時はプー太郎で、なんとも居心地が悪かった。「それはなぜだろう」って考えてみると、家族のことに思い当たる節があって、行きついて……って事ですね。プロデューサーの言葉もありました。「映像だけでかっこよく伝えようとするな」「出し惜しみするな」と。それで、編集に8カ月ぐらい掛かったんですけど(笑)。

Q: 最初に、「変化を見とどけたい」というナレーションが入り、最後「私をせかさんといて!」という台詞で終わっていますね。変化とはどういうことですか? また、題名でもある最後の言葉が、とても気になるのですが。

WT: 最初のエンディングは、「人とたくさん接する仕事をしたい」でした。《何をしていいかよく分からなかった女の子が、芝居という経験を経て言葉が出てくる》と表現しようと。しかし、その変化も安っぽい。正直、「そんな劇的に変わってたまるか」ってのがありますよね。熟成する時間は大切だと思います。「演劇やりました。私は変わりました」とは、絶対いかないと思い、敢えて切りました。「すんなり物事を運ばせるより、頑固に、自分の事をよく知る機会を持たないといけないんじゃないか」というのを表現したかったんです。変化そのものより、変化する時間を肯定したかった。今回の撮影で、僕は、人と自分を比べなくなりました。社会は「年相応」を要求します。「年相応」という基準は、自分で決めるものです。「自分」を知ることなしに「年相応」を装うことは、気持ちを置き去りにすることです。納得することなしに前に進むことには、後悔が待っているだけです。

Q: 映画を見る人に対して、思いがあったらお願いします。

WT: 自分に引き寄せて見て欲しいですね。

Q: 監督の方から特に伝えたい事があれば、お話していただけませんか。

WT: 撮る前までは、「人に対して自分の事をよく(詳しく)知って欲しい」というのがあったんですが、今は、もっと「自分の事を知りたく」なりましたね。

(採録・構成:徳本洋子)

インタビュアー:徳本洋子
写真撮影:加藤孝信/ビデオ撮影:加藤孝信/2003-09-28 東京にて