サヒヤ・ビャンバ 監督インタビュー
私たちはみんな同じだということを表そうとした
Q: この映画は、モンゴルでは上映されましたか?
SB: 1回だけ少人数に。モンゴルで映画を制作している人たちに見せたのですが、反応はあまりありませんでした。批判もなければ、すごく良かった、という声もなかった。しかし、この映画は彼らの作るものとは全く違うものなので、わかりづらかったのかもしれません。「とても長く感じた」と言われました。ショートフィルムは、モンゴルではほとんど作られていないのですが、モンゴルの長編劇映画のリズムと比べて、テンポが遅いのは確かです。
Q: 映像で、時間や空間といった、抽象的な概念を表わすことを、どのようにお考えですか?
SB: 時間という目に見えないものを、映像で表わせたかどうか、私は自信がありません。時間というものはとても興味深いテーマです。例えば、映画を上映しているときの時間と、撮ったときの時間と、実際に寺院で起こっていることの時間の対照など……。時間というのは、映画にとって大きな存在です。映画作家は、時間のリズムというものを、映画を通して表すことができると、私は考えています。
(カットが)均一に長いのは、実際の寺院との関係があって、そのようにしたのです。そうしないと、私のこの映画を作る目的は、達成されないと感じていました。長いと感じさせる流れと、同じものをくり返し映し出していることは、自分の伝えたかったリズムを作ろうという努力です。
Q: 俳句の引用がありますね?
SB: 私の考えでは、映画は映像芸術であって、できるだけことばは使わないようにしたいです。でもこの映画については、最少限のことばを使うことにしました。映画のプロセスなどを、全部ことばで表わすことは避けたかったのですが、この映画は何を表したいか、という最小限の情報は、与えるべきだと思っています。
詩については、この映画には必然的なものです。俳句のような形式の詩が、適切だと思いました。俳句には以前から興味があったのですが、私は日本語がわからないので、よくは知りません。ロシア語に翻訳されたものを読み、選んだりしました。最近、モンゴルの詩人たちの間で、俳句を作ろうという試みがあり、それにとても興味があります。
Q: 鉄道のカーブしていくシーンや、遊園地などのくるくる回るものの映像、フレームの外から聞こえてくる鳥や虫の声に詩的なものを感じました。他にも、この映画の至るところに、暗示的なものを感じます。
SB: 一番暗示を感じ取ってほしかったところ、そういうところをみなさん感じ取ってくれたようで、とてもうれしいです。この映画のタイプ、孤立されたものというのが、日本の観客にとって、理解しやすいものだったのかもしれません。でももちろん、この作品は、日本の観客向けに作ったのでも、観客に気に入られたいとして作っているのでもありません。
今朝、山寺に行って茶道を体験したとき、「水急不流月」という漢字が張られていました。川がどんなに速く流れても、月は動かない、時代が変わっても変わらないものもある、という意味だと聞きました。とても同感し、良いと思いました。
Q: この映画も、生活の中の変わらないベーシックなものを撮っていますね。
SB: とても偶然ですけれど、このことばが、ぴったりだと思います。
(採録・構成:綿貫麦)
インタビュアー:綿貫麦、和田浩/通訳:アリマー・ゾリグ
写真撮影:佐藤朱理/ビデオ撮影:松本美保/2003-10-13