アクラム・ザータリ 監督インタビュー
彼の存在自体を記録したかった
Q: ヴァン・レオの写真を調査するいきさつについて教えて下さい。
AZ: 1997年にアラブ・イメージ・ファウンデーションという非営利法人で、写真を集めて保存するという運動を共同で始めました。その活動をするにあたって、シリア、ヨルダン、エジプトを旅して写真を集めて歩いたのですが、その時にヴァン・レオに会う機会があった、というのが始まりです。彼に最初に会った時、非常にカリスマティックで、個性的な印象を受けたんです。彼の写真撮影のやり方自体、変わっていたんですね。彼は写真スタジオを開いてはいたけれども、それは商業的なものではなかった。と言うのも、その一例として、お客が来ても、その人が写真の被写体として適切でないと思った場合、彼はそれを断るんです。逆に、例えばただパスポートの写真を撮りに来たお客が、被写体として気に入った場合は、その写真を12枚続けて撮って、更に大きく引き延ばしたりするのですが、その場合の料金はタダです。彼は、自分は他の写真家とは違うと思っていました。相当な自信家だったんです。僕は、そんな彼の存在自体を記録したかった。だから、今回の作品というのは、ずっとやってきた記録の一部であって、当初は、ひとつの作品として完成させるという事は、全く考えていませんでした。
Q: 「祖母の写真」というフィクションを、作品の中心に据えた理由を教えて下さい。
AZ: ヴァン・レオから、12枚の一連のヌード写真を撮りに来た女性の話を聞いた時に、この話を、自分の作品に挿入しようと思いました。通常、写真家がモデルにお金を払って、ヌードを撮らせて貰いますが、この場合はまるで正反対です。モデルがお金を払っているから、写真家をコントロールする、その、力関係が逆転している部分に興味を持って、これをひとつ珍しいケースとして、作品に入れようと思いました。それから、もしこの女性がご存命なら、今は70歳代ですから、多分お孫さんがいると思います。自分の祖母が、そういう写真を撮ったという事に関して、そのお孫さんがどんな思いを抱くか、そこに興味を持ったんです。ですから僕は、お孫さんの気持ちを想像しながら、あのナレーションを付けたわけです。でもそうすると、ドキュメンタリーの中にフィクションが入ってくるわけですけど、それは逆に、隠されたイメージを正しい形にします。つまり、彼女はもう孫のいるお婆さんになっている、という事を見てる人たちに知らせたかったんです。
Q: 今回のビデオ作品に於いて、どんな手法にこだわりましたか?
AZ: ビデオと写真の対比です。結局ヴァン・レオのように、昔のスタイルで現像したり、カラー写真にしようとすると、大きいプリンティングマシーンを使ってポジとネガを合わせて作業したり、白黒写真に手で色を付けたりしなくてはいけない。そういう伝統的な技術面に、こだわりを持っていた彼に、ビデオはそういう大変な作業をしなくても、簡単にイメージを作り出せる事を見せたかったんです。
Q: その様な革新的なメディアに対して、懐疑的だったヴァン・レオから逆に受けた影響は?
AZ: そうですね……考えなくてはいけない事だと思いますね。ただ、僕は彼のアートに対する考え方が、狭いんじゃないかと思うんです。でも、ヴィジュアルな映像を作るという点に於いて、全く違う立場の人とコミュニケートする事は大切だし、彼のような伝統的な考え方を映像にして、他の人に見せるということも大切だと思います。それを見せる場として、伝統的なコンペティションではなく、この山形映画祭のような、現代的なコンペティションを選んだのも、僕にとっては重要な事のひとつでした。
(採録・構成:橋本優子)
インタビュアー:橋本優子、園部真実子/通訳:斉藤新子
写真撮影:園部真実子/ビデオ撮影:松永義行/2003-10-12