林智恒(ラム・チーハン) 監督インタビュー
失われつつある価値を求めて
Q: 作品を作るきっかけは何だったんですか?
LC: これは元々は学校の課題だったんです。でも、制作の過程でちょうど新型肺炎(以下SARS)騒ぎが起こって、学校が休校になってしまいました。感染を避けるために、家に閉じこもっていなければならなかったんで、誰も僕の作品作りを手伝えなかったんです。仕方なく自分ひとりで撮影を始めたんですけど、すぐに作品の主題を、自分自身に直結することを思いつきました。僕が一番言いたかったのは、SARSは確かに大災害だけれども、香港で今一番重要なのは、自分たちが価値のある物を、今この瞬間もどんどん失ってしまっているということで、取り返しがつかなくなる前にそれに気付いて、何とかすべきじゃないかということだったんです。
Q: ニュース映像は、インターネットから取ってましたね。
LC: 人は好みによってTVやラジオ、インターネットなどでニュースを視聴するものだけれども、今回の作品の場合は、インターネットからニュースをダウンロードするしかありませんでした。何故かというと、リアルタイムに流れているものではなくて、過去の映像を使う必要があったからです。TVから直接そういう映像が得られたら、もっと生々しい時事性が出て、どんなに良かったかと思うけど。
Q: 撮影はどうやって進めていたんですか?
LC: 殆ど自分ひとりで撮影していました。どうしても助けがいるときは、友達に頼んだけど、SARS騒ぎで家に閉じこもっていたから、呼んでくるのはとても大変でしたね。その事で興味の対象が自分に向かっていって、自分自身の物語や物の見方を提示する事に関心が向いていったんです。だから、自分の家や家族、近所の建物など、僕がよく知っている物にカメラを向けました。
僕はデジタル・ビデオで制作することはあまり経験がなかったし、映像言語に精通していたわけではなかったので、見た人はきっと色々とおかしな事に気がつくと思います。だけど、僕はこの作品を沢山の人達に見せることを意図しないで、僕自身の、非常に個人的な思いを反映させて作りました。感染騒ぎが起きる前、僕は学校の寄宿舎に寝泊まりしていて、家に帰る暇もなかったんですけど、学校が閉鎖されたために、突然、子供の頃からよく知っている界隈を歩き回ることになりました。実際には、僕はその地区に住んでいなかったけれど、古い建物などが見捨てられた形になってしまって、自分でも何故か分からないけど、それに対してとても強くて深い感情を感じました。それと同時に、僕が心情的に強く動かされたとしても、それはなんの役にも立たないだろうと分かってもいました。こうしている現在だって破壊は進んでいるでしょうしね。その現状に対して何も出来ないことに、僕は無力感を感じるんです。奇妙なことに、僕は自分が生まれ育った頃の環境に、未だに強い愛着を感じます。僕らの世代はそんな繋がりはとうに断ち切ってしまっているというのにね。
最初は、この作品はただの宿題として作ったものですけれど、映画祭の上映作品に選んで貰ったおかげで、山形に来ることができたし、色々な物事を考える出発点になったんじゃないかと思います。映画祭では、たくさんの国の様々なドキュメンタリーを見ましたけど、例えばブラジル音楽を描いた『モロ・ノ・ブラジル』は、いかに音楽がひとつの国の“魂”となって、人々に希望を与えているかを教えてくれたし、日本の映画を見て、ここでは伝統的習慣が今でも息づいていることが分かりました。でも、香港では違うんです。余りにも競争が激しすぎ、みんな自分が勝ちたいが為に、競争相手を打ち負かすことばかりに熱心なんです。過去と現在との大きな断絶も問題で、過去の価値ある物を、何とか保護したいと思っても、僕には何ら手だてがないし、不甲斐ない思いに囚われるばかりです。
(採録・構成:加藤孝信)
インタビュアー:遠藤奈緒、加藤孝信/通訳:マギー・リー、斉藤新子
写真撮影:山崎亮/ビデオ撮影:園部真実子/2003-10-14