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YIDFF 2003 アジア千波万波
350元の子
李林(リー・リン) 監督インタビュー

彼らを撮り続けたのは、映画人としての良心から


Q: 命がけで彼らと関わり合う撮影にまで、監督を突き動かしたものは何だったのでしょう?

LL: 彼らが搾取の犠牲になっていることを知って、どうしても無視することができなかった。人々の裏側にあるものを自分は撮っていきたいという思いがあったので、映画人として彼らを見た際に無視することができなかったのだ。もしそうしなければ、自分の映画人としての良心が許さなかった。夜は非常に怖く、彼らが麻薬を取りに行って殴られて帰ってくることや、ゴミ捨て場で彼らを待っている時は本当に怖かった。それでも、映画を撮っているのだと自分に言い聞かせて撮り続けた。

Q: 彼らを取り巻く多くの大人たちは、無関心という立場をとっていますよね?

LL: そうした人々と私の一番の違いは、私はカメラを持っていたということ。そして今現在は国外に住んでいるということ。子どもたちがあのような状態で放置されているということを、私はどうしても見逃すことができない。しかし、今この時期の中国にいては、他人のことを考えるということが難しいのではないか。あの社会で生きていくこと自体が非常に難しい。

Q: その後の彼らについてと、続編についてよろしければ教えてください。

LL: 『350元の子』と続編の『求救』を1本に短くまとめたものが、既にオーストラリアのABCTVで放送されている。彼らとは1年後に同じ場所で再会した。チェン・リー(女の子)はHIVに感染していた。彼女と注射針を共有していた2人の男の子も感染の疑いがあると思い、病院に連れていって検査をした。結果は陽性。まだ発症はしていないけれどもいずれ発症し、死を迎えるということは避けられないだろう。問題なのは彼らが何の治療も受けていないこと。そして、警察や人々がHIVに関する知識を持たないこと。私はこの撮影にあたり、中国の法律の中に子どもを守るものがないか調べた。もちろんそれはあったのだが、実行されていない。一番心が痛んだのは、彼らがぶたれること、警察官にぶたれ、物を盗った相手にもぶたれる、結局法律自体が機能していないということだ。あるがままに子どもたちを現在の状況に放置している。かわいそうなのは子どもたちだけではなくて、そこに住んでいる大人たちも哀れだし、それにもましてこの私の国自体がとても悲しい。むろん自分が生まれた国、自分の国でありとても愛しているがゆえに余計悲しい。この映画を観てくださる方にお願いしたいのは、フィルムを通して私が観たもの感じたことを、是非どうか心に留めていただきたいということだ。そしてこの映画が中国でも上映されることを望んでいる。

(採録・構成:遠藤暁子)

インタビュアー:遠藤暁子、林下沙代/通訳:斉藤新子
写真撮影:佐藤朱理/ビデオ撮影:大木千恵子/ 2003-10-11